小澤怜史(こざわ・れいじ)は、日大三島高校から2015年ドラフト2位で福岡ソフトバンクホークスに入団し、育成契約と戦力外通告を経験しながら、東京ヤクルトスワローズで一軍復帰を果たした右腕投手だ。サイドスローへの転向をきっかけに活躍の場を広げ、2024年には自己最多の40試合に登板。6勝6敗、11セーブ、防御率2.55という成績を残した。
しかし、2026年11月現在の状況は大きく変わっている。今季は11試合に登板して防御率3.93、21奪三振を記録したものの、10月26日にヤクルトから来季の契約を結ばないと通告された。報道によれば本人は現役続行を希望している。2026年の最新成績から、ソフトバンク時代の苦難、サイドスロー転向の理由、年俸推移、今後の可能性まで詳しく整理する。
【プロフィール】小澤怜史の読み方・年齢・日大三島高校時代の経歴
小澤怜史は「こざわ・れいじ」と読む。静岡県出身のプロ野球投手で、1998年3月9日生まれ。2026年11月現在は28歳だ。
NPB公式プロフィールによると、身長182cm、体重87kg。右投左打で、2015年ドラフト2位としてソフトバンクから指名された。高校は静岡県の日本大学三島高等学校(日大三島高校)である。
高校時代から注目された最大の武器は、力強いストレートだった。文春オンラインの恩師への取材記事では、高校3年時に自己最速152キロを記録したことが紹介されている。プロ入り前から速球派右腕として期待されていたことが分かる。
小澤のプロフィールを整理すると、次のとおりだ。
- 名前:小澤怜史(こざわ・れいじ)
- 生年月日:1998年3月9日
- 年齢:28歳(2026年11月現在)
- 出身地:静岡県
- 身長・体重:182cm・87kg
- 投打:右投左打
- ポジション:投手
- 出身高校:日大三島高校
- ドラフト:2015年ドラフト2位
- プロ入り時の所属:福岡ソフトバンクホークス
- ヤクルト時代の背番号:45(2023年以降)
注目したいのは、ドラフト2位という高い評価を受けてプロ入りした一方、最初の所属球団では長期間にわたって一軍定着を果たせなかった点だ。高校時代の球速や将来性だけではプロで生き残れないという厳しさを、キャリアの前半で経験している。
【経歴と再起】2015年ドラフト2位からソフトバンク戦力外、ヤクルト育成契約へ
小澤怜史のプロ野球人生は、順調なエリートコースとは異なる。2015年のドラフト2位指名でソフトバンクに入団したものの、故障などの影響もあり、期待された成長曲線を描けなかった。
ソフトバンク時代に直面した育成契約への降格2015年のドラフト会議でソフトバンクから2位指名を受け、2016年にプロ入り。2017年には一軍デビューを果たし、2試合に登板した。
しかし、2018年オフには故障などもあって育成契約へ移行。支配下選手として一軍で活躍する機会をなかなか得られず、2020年オフには球団から戦力外通告を受けた。
当時22歳。ドラフト2位という評価を受けて入団した選手にとって、プロ5年目での戦力外は大きな転機だった。
12球団合同トライアウトで3者連続三振ソフトバンク退団後、小澤は現役続行を目指して12球団合同トライアウトに参加した。
2020年12月7日のトライアウトでは、打者3人から連続三振を奪う投球を披露。持ち味である球威を示し、新天地を探すためのアピールに成功した。
その結果、東京ヤクルトスワローズが獲得に動き、12月14日に育成契約を締結。背番号は014となった。
日刊スポーツの報道によると、ヤクルトからオファーの連絡があったのは12月11日ごろで、小澤はすぐに入団を決めたという。再びプロ野球選手として挑戦する機会を得た。
2022年6月に念願の支配下登録ヤクルト移籍後も、すぐに一軍で投げられたわけではない。2021年は育成選手としてファームで経験を積みながら、投球フォームの変更にも取り組んだ。
そして2022年6月26日、ついに支配下選手登録を勝ち取る。背番号は014から70へ変更された。
支配下登録された当日には、巨人戦で3回表無死満塁の場面から登板。4イニングを投げて2失点と、厳しい状況で一軍のマウンドを経験した。
さらに7月3日のDeNA戦ではプロ初先発を果たし、5回3失点でプロ初勝利を記録。2015年のドラフト指名から7年目にして、ようやく一軍で勝利投手となった。
戦力外通告、トライアウト、育成契約、支配下登録という道のりは、小澤のキャリアを象徴する出来事だ。
【サイドスロー転向の理由】小野寺力コーチの助言が変えた投手人生
小澤怜史の再起を語るうえで欠かせないのが、2021年秋に取り組んだサイドスローへの転向だ。
高校時代は152キロを投げるオーバースローの本格派右腕だったが、ヤクルト移籍後に投球フォームを大きく変更した。単なる投げ方の変更ではなく、プロで生き残るために自分の身体的な特徴を生かす選択だった。
転向を提案したのは二軍の小野寺力投手コーチ週刊ベースボールONLINEの2022年9月のインタビュー記事によると、転向を提案したのは当時の二軍・小野寺力投手コーチだった。
小野寺コーチは、日ごろのキャッチボールなどから小澤の身体の使い方を観察し、腰の回転について横方向の動きが強いと感じていた。
一方、2021年の小澤は支配下登録を勝ち取れず、先発1試合を含む24試合で0勝2敗、防御率4.50という成績だった。
本人も従来の投球スタイルを続けるだけでは厳しいと感じており、8月中旬ごろからサイドスローへの変更を考え始めていたという。
「なんかもう、何年も同じことをやってるなっていうのが強かったんで……」
これは週刊ベースボールONLINEのインタビューで紹介された小澤本人の言葉だ。これまでの投球スタイルに固執せず、新しい可能性に挑戦する姿勢がうかがえる。
サイドスローに変えて何が改善したのか2021年9月1日のイースタン・リーグ巨人戦で、サイドスローによる実戦登板を初めて経験した。
週刊ベースボールONLINEの記事では、転向後も球の強さを維持できたことに加え、スライダーなど横方向の変化をつけやすくなったことが本人の感覚として紹介されている。フォークについても、投球時の感覚に大きな変化はなかったという。
つまり、小澤のサイドスロー転向は、単純に球速を落として打たせて取る投手になるための変更ではなかった。もともと持っていた球威を残しながら、腕の角度によって打者への見え方や変化球の軌道を変える狙いがあった。
転向後のファームでの成績も印象的だ。2021年シーズン終盤には主に抑えとして11試合に登板し、2勝1敗3セーブ、防御率1.69を記録した。
この結果が、翌2022年の支配下登録につながる大きな材料となった。
サイドスロー転向は失敗から生まれた強み一般的に、投手のフォーム変更には大きなリスクがある。長年身につけた身体の使い方を変えることで、制球や球威を失う可能性もあるためだ。
しかし、小澤の場合は従来の速球派としての特徴を残しながら、横方向の動きを生かすことに成功した。
高校時代からの最速152キロという数字だけを追い続けるのではなく、プロの環境で通用する投球フォームを選び直したことが、キャリアを立て直す決定的な要素となった。
【年度別成績】小澤怜史の防御率・奪三振数を2024年から2026年まで比較
小澤怜史の一軍成績を見ると、ヤクルトでの再起後、2023年から2024年にかけて存在感を高めたことが分かる。一方、2025年には成績が落ち込み、2026年は防御率を改善したものの、一軍での登板機会が減少した。
以下はNPB公式の個人年度別成績を基にした主な記録だ。
| 年度 | 所属 | 登板 | 勝敗 | 投球回 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2017 | ソフトバンク | 2 | 0勝0敗 | 2回 | 13.50 | 2 | 0 |
| 2022 | ヤクルト | 10 | 2勝1敗 | 46回 | 4.11 | 44 | 0 |
| 2023 | ヤクルト | 29 | 6勝4敗 | 101回1/3 | 3.02 | 83 | 0 |
| 2024 | ヤクルト | 40 | 6勝6敗 | 77回2/3 | 2.55 | 66 | 11 |
| 2025 | ヤクルト | 25 | 0勝5敗 | 26回1/3 | 5.47 | 30 | 0 |
| 2026 | ヤクルト | 11 | 0勝0敗 | 18回1/3 | 3.93 | 21 | 0 |
一軍通算では117試合に登板し、14勝16敗11セーブ、防御率3.45、246奪三振を記録している。なお、2018年から2021年までは一軍公式戦の登板記録がない。
2024年は自己最多40試合、防御率2.55の好成績キャリアのなかで特に評価できるのが2024年だ。
40試合に登板し、6勝6敗11セーブ、防御率2.55をマーク。77回2/3を投げて66奪三振を記録した。
この年の特徴は、先発だけでなく救援投手としても結果を残したことだ。開幕時は先発ローテーションに入り、シーズン後半には抑えも担当。勝利数とセーブ数の両方を記録し、起用法の幅広さを示した。
2024年の成績は、育成契約から這い上がった小澤が、一軍の重要な戦力として評価されていたことを示す数字である。
2025年は防御率5.47に悪化一方、2025年は25試合で0勝5敗、防御率5.47と苦しいシーズンになった。
投球回は26回1/3にとどまり、前年の77回2/3から大きく減少。奪三振は30個だったが、与四球も18個と、投球内容の安定性に課題を残した。
登板機会が減少したことに加え、2024年までの先発・抑えという役割から中継ぎ中心へと起用法が変わったことも、シーズンを比較する際のポイントとなる。
2026年は防御率が改善、しかし登板は11試合2026年の小澤は11試合に登板し、0勝0敗、防御率3.93、18回1/3で21奪三振という成績だった。
2025年の防御率5.47から3.93へ改善しており、奪三振数も投球回数に対して一定の水準を維持している。実際、1試合9イニング換算の奪三振率は約10.31となる。
ただし、登板数は25試合から11試合に減少。セーブ、ホールドも記録していない。数字だけを見れば前年から投球内容を改善した部分はあるものの、一軍で継続的な役割を確保するには至らなかった。
2026年7月中旬に出場選手登録を抹消され、その後は一軍に復帰できなかったことも、シーズン終盤の状況を理解するうえで重要だ。
【先発・中継ぎ・抑え】小澤怜史の起用法と年俸推移を分析
小澤の特徴は、先発、中継ぎ、抑えという複数の役割を経験してきたことだ。サイドスローという投球フォームの個性に加え、チーム事情に合わせて起用法を変えられる点も評価されてきた。
先発投手としての実績2022年7月3日にプロ初先発を経験し、同試合でプロ初勝利を記録した。
2023年は29試合に登板して6勝4敗、防御率3.02。投球回は自己最多の101回1/3に達し、完投と完封勝利も記録した。
サイドスローから投げ込むストレートと変化球を組み合わせ、長いイニングを任される投手としても実績を残したシーズンだった。
中継ぎ・抑えとしても結果を残す2024年には40試合に登板し、11セーブを記録した。先発ローテーションから救援へ移り、最終的には抑えを任されるなど、チーム内での役割は大きく変化した。
2025年と2026年は救援中心の起用となった。特に2026年は11試合すべてが救援登板で、登板機会そのものが少なくなっていた。
このように、先発としての投球回数、救援での登板、抑えとしてのセーブ実績を持つことは、小澤のキャリアを評価する際の要点だ。
小澤怜史の年俸推移は?最高額は5200万円小澤怜史の年俸は、ソフトバンク時代の若手・育成期には推定700万円前後で推移していた。その後、ヤクルトで支配下登録を勝ち取り、一軍で結果を残すにつれて大きく上昇した。
週刊ベースボールONLINEに掲載された推定年俸の推移は次のとおりだ。
- 2016~2020年:各年700万円(推定)
- 2021年:400万円
- 2022年:400万円
- 2023年:1,100万円
- 2024年:3,000万円
- 2025年:5,200万円
- 2026年:4,100万円
最も高かったのは2025年の推定5,200万円だ。2024年に40試合登板、防御率2.55、11セーブという実績を残したことが、年俸上昇の背景にある。
2026年は推定4,100万円となり、前年から1,100万円の減額だった。2025年の成績低下が契約評価に反映されたと考えられる。
なお、これらは報道・選手データに基づく推定年俸であり、球団が契約内容の詳細をすべて公表しているわけではない。
【2026年最新】小澤怜史はヤクルト戦力外に!現在の所属と今後の進路
2026年11月3日現在、小澤怜史は東京ヤクルトスワローズの来季契約対象から外れている。
東京ヤクルトスワローズは2026年10月26日、公式サイトで小澤怜史投手に対して来季の契約を行わない旨を通告したと発表した。同時に茂木栄五郎、北村恵吾も対象となっている。
これにより、2020年オフにソフトバンクから戦力外通告を受けた小澤は、ヤクルトでも再び戦力外という節目を迎えることになった。
ヤクルトで過ごした6年間に感謝を表明2026年10月28日付の報道によると、小澤は自身のInstagramで戦力外通告を受けたことを報告した。
投稿では、ファンからの応援への感謝と、ヤクルトで過ごした6年間についての思いを伝えている。
2020年に育成選手として加入し、2022年に支配下登録、2023年には先発として6勝、2024年には11セーブを記録した。育成から一軍の戦力へと成長した6年間は、本人にとっても球団にとっても印象深い時間だったはずだ。
現役続行を希望している2026年10月27日付のデイリースポーツの報道では、小澤が現役続行を希望していることが伝えられた。
つまり、ヤクルトからの戦力外通告は、本人が現役引退を決断したという意味ではない。
28歳という年齢を考えれば、今後もプロ野球選手としてプレーする可能性を探ることは十分に考えられる。ただし、2026年11月3日時点で、他球団との契約や新たな所属先が正式に発表された事実は確認できない。
他球団が獲得を検討する場合の評価ポイント小澤を他球団が評価する場合、注目されるのは次の3点だ。
1つ目は、サイドスローという希少性。右打者・左打者に対して独特の角度から投げ込めることは、救援投手としての特徴になる。球威を維持しながら横方向の変化を生かせる点も魅力だ。
2つ目は、奪三振能力。2026年は18回1/3で21奪三振を記録している。登板数が少ないとはいえ、三振を奪う能力を示す数字は残した。
3つ目は、複数の役割を経験していること。先発として101回1/3を投げた2023年、11セーブを挙げた2024年の実績は、救援専門の投手とは異なる評価材料になる。
一方で、2025年から2026年にかけて一軍登板数が減少したことや、2026年は7月中旬以降に一軍登板がなかったことは課題だ。
獲得する球団があるとすれば、過去の実績だけでなく、現在の球威、制球、連投への対応力、シーズンを通して稼働できるかどうかが判断材料になるだろう。
【小澤怜史に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:小澤怜史の読み方は何ですか?
A1:小澤怜史は「こざわ・れいじ」と読みます。1998年3月9日生まれ、静岡県出身の右投左打の元東京ヤクルトスワローズ投手です。
Q2:小澤怜史は2026年現在どこの球団に所属していますか?
A2:2026年10月26日にヤクルトから来季の契約を結ばないと通告されています。本人は現役続行を希望していますが、11月3日時点で次の所属球団は正式発表されていません。
Q3:小澤怜史がサイドスローに転向した理由は何ですか?
A3:2021年、ヤクルトの二軍・小野寺力投手コーチから、身体の横方向の回転が強いという特徴を指摘され、転向を提案されたことがきっかけです。本人も従来の投球スタイルから変化する必要性を感じていました。
Q4:小澤怜史の2024年の成績は?
A4:40試合に登板し、6勝6敗11セーブ、防御率2.55、77回2/3で66奪三振を記録しました。自己最多の登板数を記録したシーズンです。
Q5:小澤怜史の2026年の成績と年俸はいくらですか?
A5:2026年は11試合に登板し、0勝0敗、防御率3.93、18回1/3で21奪三振でした。年俸は推定4,100万円です。
小澤怜史のプロ野球人生は、2015年ドラフト2位でのソフトバンク入団から始まり、育成契約、戦力外通告、ヤクルトでの再起という大きな転換を経験してきた。
特に重要だったのは、2021年秋のサイドスロー転向だ。小野寺力コーチの助言を受け、身体の使い方に合った投球フォームへ変更したことで、2022年の支配下登録、2023年の先発としての活躍、2024年の11セーブにつながった。
2025年は防御率5.47と苦しんだものの、2026年は3.93まで改善。奪三振能力という持ち味も残している。しかし、一軍登板は11試合にとどまり、10月26日にヤクルトから戦力外通告を受けた。
小澤怜史を評価するうえで大切なのは、2024年の好成績だけでも、2026年の戦力外という結果だけでも判断しないことだ。
プロの投手としての価値は、防御率だけでなく、球威、奪三振能力、役割への適応力、年間を通じた稼働実績などを総合して判断する必要がある。
先発として投げられるスタミナと、抑えとして結果を残した経験を併せ持つ小澤には、まだ評価できる材料がある。今後の焦点は、現役続行という希望を実現できるか、そしてサイドスロー右腕として新たなチームで再び一軍のマウンドに立てるかどうかだ。
ソフトバンクでの戦力外からヤクルトでの支配下復帰を実現した28歳の右腕。その次の挑戦がどのような形になるのか、今後の動向に注目したい。