狂言師・和泉元彌の母として知られる和泉節子(いずみせつこ)。2000年代には「セッチー」の愛称でワイドショーやバラエティー番組に出演し、華やかなファッションと歯に衣着せぬ発言で大きな注目を集めました。
2026年11月現在、和泉節子は84歳です。2026年1月には長男・和泉元彌が自身のInstagramで家族写真を公開し、83歳当時の元気そうな近影が話題になりました。さらに同年9月には和泉流宗家の狂言公演の出演者一覧にも名前が掲載されています。テレビで活躍した時代とは異なる形で、現在も一族の伝統芸能と関わりを持っています。
その一方、和泉元秀との結婚、狂言プロデューサーとしての活動、2002年のダブルブッキング騒動、和泉流宗家の継承問題など、節子の人生には狂言界の歴史と深く結びついた出来事が数多くあります。
【2026年最新】和泉節子の現在は?84歳の近影と活動を紹介
和泉節子の現在の姿が改めて注目されたのは、2026年1月5日のことです。
長男の和泉元彌がInstagramを更新し、正月を家族と過ごした様子を紹介しました。1月2日の恒例の墓参りについても触れ、親族が集まった写真を公開。その中に、母・節子の姿がありました。
写真の節子は、華やかなファーコートを身につけ、穏やかな表情を見せています。かつてテレビ出演時のトレードマークだった眼鏡を着用していない写真もあり、以前とは少し違った印象を受けます。
この写真を取り上げた2026年1月7日のENCOUNTや1月24日のJ-CASTニュースでは、節子の元気そうな姿が紹介されました。SNS上では「お元気そうで」「穏やかな雰囲気に」といった好意的な反応も伝えられています。
今回の写真で印象的なのは、単に年齢を感じさせない外見だけではありません。元彌が墓参りについて紹介した文章には、先祖から受け継いだ命や芸を未来につなげていくという家族の考えが表れています。
「今の我々があるのは、ご先祖様のお陰。命も、芸も。」
この言葉は、元彌が写真とともに投稿した文章の一部です。節子の現在を理解するうえでも、家族の伝統を次の世代へ引き継ぐという姿勢は見逃せません。
2026年も狂言の活動と関わりを持つ節子の活動は、テレビ出演だけではありません。
2026年9月27日に福島県磐梯町で開催された「和泉流宗家 狂言の世界」では、和泉元彌、和泉淳子、三宅藤九郎らとともに、和泉節子も出演者一覧に掲載されました。
公演では狂言の解説や小舞、演目「仏師」「泉山伏」、トークなどが予定されていました。地域の観光協会が公開した開催案内からも、節子が和泉流宗家の活動に関わっていることが確認できます。
また、WEBザテレビジョンのプロフィールには、2025年10月13日放送のBSフジ「クイズ!脳ベルSHOW」への出演記録があります。
つまり、現在の節子は2000年代のようにワイドショーを中心に活動するタレントというより、狂言の公演や家族の芸能活動と関わりながら、時折テレビにも登場する存在です。
【プロフィール】和泉節子の生年月日・年齢・若い頃と和泉元秀との結婚
和泉節子の基本プロフィール和泉節子は1942年6月11日生まれ。岐阜県大垣市の出身です。
日本タレント名鑑では職業を「狂言プロデューサー」として紹介しており、茶道や華道を特技としています。
2026年は6月11日に84歳の誕生日を迎えました。2026年1月の写真が83歳として紹介されたのは、誕生日を迎える前だったためです。
- 名前:和泉節子(いずみ・せつこ)
- 生年月日:1942年6月11日
- 年齢:84歳(2026年11月現在)
- 出身地:岐阜県大垣市
- 職業:狂言プロデューサー
- 夫:和泉元秀(十九世宗家)
- 長男:和泉元彌
- 長女:和泉淳子
- 次女:三宅藤九郎
和泉節子の若い頃については、2022年6月の週刊女性PRIMEのインタビューが参考になります。
節子は1942年、岐阜県大垣市の実業家の家庭に生まれました。実家は経済的に恵まれた環境だったとされ、父親は鉄工会社を経営。母方の実家も造り酒屋を営む家だったと紹介されています。
学歴については、金城学院中学校・高等学校を経て、同大学の短期大学部で学んだ経歴がプロフィール資料に記載されています。
本人はインタビューで、短大卒業後は早く結婚するよう家族から勧められ、縁談が約100件寄せられたと振り返っています。その中で出会ったのが、後に夫となる狂言師・和泉元秀でした。
若い頃の節子は、現在のテレビで見せる華やかな印象だけではなく、伝統芸能の家に嫁ぐことを決めた女性でもありました。
1968年、和泉流十九世宗家・和泉元秀と結婚和泉節子は1968年、和泉流十九世宗家の和泉元秀と結婚しました。
和泉元秀は、幼少期から狂言の世界で修業を積み、和泉流の伝統を担った人物です。公式家族紹介によれば、1991年には和泉流の現行曲254曲を歴史上初めて完演したほか、シェイクスピアやモリエールの作品を新作狂言として発表するなど、伝統の継承と新しい表現の両方に取り組みました。
節子は夫の活動を家庭内から支えるだけではなく、結婚後は狂言プロデューサーとして公演の企画にも携わるようになります。
夫婦の関係は、単なる芸能一家の夫婦というより、舞台芸術を継承するための協力関係でもありました。
1995年6月30日、和泉元秀は57歳で亡くなります。夫を失った節子は、家族と宗家の活動を支える立場を引き継ぎました。
【家族関係】和泉元彌の母親・セッチーと3人の子どもたち
和泉節子の子どもは3人和泉節子と和泉元秀の間には、3人の子どもがいます。
長女が和泉淳子、長男が和泉元彌、次女が三宅藤九郎です。3人とも狂言と関わりを持ち、それぞれ異なる立場で伝統芸能を支えてきました。
特に注目されるのが、長女と次女も狂言師として育てられたことです。週刊女性PRIMEの2022年のインタビューで、節子は娘たちにも男の子と同じ水準の修業をさせたと説明しています。
長女・和泉淳子は女性狂言師の先駆者和泉淳子は1969年生まれ。3歳で初舞台を踏み、1989年には国立能楽堂で「史上初女性狂言師誕生記念公演」を行いました。
2001年には女性狂言師協会を設立して代表に就任。国内外の公演や学校教育を通じた狂言の普及にも取り組んでいます。
和泉節子が娘にも本格的な狂言の修業をさせたことは、伝統芸能の世界における女性の活動範囲を広げる一つの流れにもつながりました。
次女・三宅藤九郎も狂言師として活動次女の三宅藤九郎も狂言師です。家族紹介では、和泉元秀を師匠として育ち、三宅藤九郎家の活動を担う人物として紹介されています。
長女・淳子と次女・藤九郎は、和泉元彌の姉にあたります。和泉節子自身の姉妹と混同されることがありますが、公開されている家族プロフィールで確認できるのは、主に夫・子ども・孫を中心とした家族関係です。
和泉元彌と羽野晶紀の家族長男の和泉元彌は、女優の羽野晶紀と2002年に結婚しました。2人の間には長女の采明と長男の元聖がいます。
節子は元彌の芸能活動や宗家の運営を長く支えてきましたが、2000年代には嫁姑関係をめぐる報道でも注目されました。
2007年には羽野晶紀との別居が報じられ、節子が嫁に対してさまざまな禁止事項を設けていたという報道もありました。2022年の週刊女性PRIMEの取材では、節子自身が家庭内のしきたりや伝統を守ることの難しさについて語っています。
ただし、こうした報道だけで家族全体の関係を決めつけることはできません。2026年1月の元彌の投稿では、節子を含めた親族が一緒に墓参りをする姿が紹介されています。
【経歴・年表】狂言プロデューサーとしての役割と人生の転換点
和泉節子を理解するうえで重要なのは、テレビ出演より前から狂言の企画・運営に関わっていた点です。
和泉元秀の存命中から、全国各地の文化会館での公演や博覧会での舞台、海外公演などをプロデュースしてきました。夫の死後は宗家会の理事長に就任し、家族と宗家の活動を支える立場を担いました。
公式家族紹介と報道、裁判所の記録を整理すると、主な転換点は次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 意味・関係者 |
|---|---|---|
| 1942年6月11日 | 岐阜県大垣市で誕生 | 和泉節子の生年月日 |
| 1968年 | 和泉元秀と結婚 | 十九世宗家の家庭に入り、狂言の世界と関わる |
| 夫の存命中 | 狂言プロデューサーとして活動 | 文化会館公演や海外公演などを企画 |
| 1995年6月 | 和泉元秀が死去 | 節子は宗家会理事長に就任 |
| 1995年以降 | 和泉元彌の宗家継承をめぐる対立 | 和泉流内部で継承への賛否が分かれる |
| 2002年 | ダブルブッキング騒動・能楽協会との対立 | 節子も息子の対応を支える立場で報道の中心に |
| 2022年6月 | 週刊女性PRIMEのインタビュー | 騒動の振り返りや狂言への思いを語る |
| 2025年10月 | 「クイズ!脳ベルSHOW」出演記録 | テレビ出演も継続 |
| 2026年1月 | 和泉元彌が家族写真を公開 | 83歳当時の近影が話題に |
| 2026年9月 | 磐梯町の狂言公演の出演者一覧に掲載 | 和泉流宗家の活動との関わりが確認できる |
節子が一般の視聴者に広く知られるようになったのは、2000年代初頭です。
2002年にはフジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラー出演を経験。息子の元彌とともにワイドショーに登場し、独特の話し方や華やかな服装、強気なコメントで注目を集めました。
テレビでは息子を守る母親としての姿が前面に出ることが多く、狂言の専門的な仕事よりも「セッチー」というキャラクターが先行するようになりました。
しかし、公式家族紹介には、夫の存命中から狂言プロデューサーとして活動していた経歴が記載されています。テレビで有名になる以前から、節子は舞台の企画・運営を支える存在だったのです。
【騒動の真相】和泉元彌のダブルブッキング問題は何が起きた?
2002年に注目された公演の掛け持ち和泉元彌をめぐるダブルブッキング騒動は、2002年に大きく報じられました。
当時、元彌は狂言公演だけでなくテレビ出演なども重なり、複数の仕事を短時間で移動してこなす状況にありました。ヘリコプターや小型ジェット機を利用した移動、報道陣による追跡などが連日話題になり、母の節子も一緒に取材を受けることになります。
2022年の週刊女性PRIMEのインタビューで、節子は、双方とも義理のある仕事であれば両方を立てる必要があり、移動手段を工夫して対応したと説明しました。
節子にとっては、仕事を無責任に掛け持ちしたという認識ではなく、宗家として依頼された公演をできる限り実現するための対応だったということです。
和泉元彌本人は2024年のインタビューで何を語った?2024年5月の文春オンラインのインタビューで、元彌本人も当時の騒動を振り返っています。
元彌は、問題となった出来事について、意図的に予定を二重に入れたのではなく、事前に関係者間で調整されたスケジュールに沿って移動していたという認識を示しました。
岡山から東京、岐阜から東京といった移動を、ヘリコプターやビジネスジェットでつなぐ計画だったと説明しています。
一方で、関係者にスケジュールどおりに動いていることが十分に伝わらなかった点については、自分の不甲斐なさだったと振り返っています。
この証言からは、本人と母親が当時の出来事を「予定された掛け持ち」と認識していたことが分かります。
2005年の東京地方裁判所の判決が示した事実騒動を検証するうえで欠かせないのが、2005年3月17日の東京地方裁判所の判決です。
和泉元彌は能楽協会側の発言による名誉毀損や退会命令処分の無効などを主張して訴訟を起こしました。しかし、裁判所は元彌側の請求をいずれも棄却しました。
判決では、問題となった出来事のすべてが同じように認定されたわけではありません。公演先との間で実際に問題になったと認められたケースと、問題があったとする証拠が十分でないケースが区別されています。
特に重要なのが、2002年3月19日の北海道音更町での公演と、同日夜のTBSテレビの生放送への出演です。
元彌側は、発熱後に体調が回復し、ヘリコプターを利用すれば双方の予定を両立できる態勢だったと主張しました。しかし、裁判所は提出された資料や航空会社への照会結果などから、事前に必要な許認可や離着陸の申請が確認できず、両方の予定を実際に両立できる状況だったとは認め難いと判断しました。
また、同年2月17日の奈良県斑鳩町の公演では、元彌が予定より2時間40分遅れて到着したことなども認定されています。
一方、裁判所は、協会側が主張したすべての遅刻・早退・予定変更について問題があったと認定したわけではありません。公演先との間で実際に問題が発生したと証拠から認められる事例を区別して判断しています。
したがって、騒動の実像は「すべてが誤報だった」とも「報道されたすべての疑惑が正しかった」とも整理できません。本人側の説明と、裁判所が証拠に基づいて認定した事実には違いがあるのです。
【和泉流宗家の継承問題】和泉元秀の死後に何が起きた?
1995年、21歳の和泉元彌が二十世宗家を名乗るダブルブッキング騒動と並んで、和泉家にとって大きな問題となったのが宗家継承をめぐる対立です。
1995年6月30日、十九世宗家の和泉元秀が57歳で亡くなりました。その後、長男の和泉元彌は和泉流二十世宗家として活動を始めます。
節子は2022年のインタビューで、元彌は父親が亡くなる前から宗家を継承しており、披露の機会も設けていたと説明しています。また、幼少期から父親が長い年月をかけて芸を伝えてきたため、若くても宗家を担う準備はできていたという考えを示しました。
しかし、流派内部では、21歳という年齢での継承や、宗家として認めるための手続きについて反対意見が出ていました。
1996年から2002年にかけて対立が深刻化裁判所の判決文には、継承問題の経緯が具体的に記録されています。
1996年6月11日、和泉流の狂言師の一部が元彌の宗家継承に反対する意見を提出し、宗家会は継承について保留審議事項としました。
2002年3月1日には、和泉流職分会の48名が、元彌の宗家自称などについて能楽協会に申し立てを行いました。
同年7月には調査審議委員会が設置され、宗家の呼称だけでなく、公演への遅刻や予定変更、協会との関係なども調査対象となりました。
そして10月21日の臨時総会では、元彌を除名または退会命令処分とすることを可とする決議が行われ、98%の多数で可決。元彌は能楽協会から退会命令処分を受けました。
2005年の判決で何が判断されたのか2005年3月17日、東京地方裁判所は元彌側の請求をすべて棄却しました。
この判決で特に重要なのは、宗家継承について、先代宗家の実子であるというだけで自動的に継承が認められる慣行があるとはいえない、と裁判所が判断した点です。
判決文によれば、和泉流内部では元彌とその姉2人、内弟子2人を除く大多数が、元彌を宗家として認めていませんでした。裁判所は、流儀内の総意を得ることが宗家継承の原則とされていたことなどを踏まえ、元彌を宗家ではないとする協会側の発言について、真実であるか、少なくとも真実と信じる相当な理由があったと判断しました。
加えて、能楽協会による退会命令処分についても、手続面・実体面の双方で違法性は認められないと判断しています。
ただし、この判決は宗家継承をめぐる対立のすべてを消し去ったわけではありません。和泉流宗家側の家族紹介では現在も元彌を二十世宗家として位置づけています。一方、裁判所の記録には、流派内の多数がその継承を認めていなかったという歴史的事実が残っています。
この両者を区別することが、和泉流宗家問題を理解するうえで大切です。
【評判と人物像】なぜ和泉節子は「セッチー」と呼ばれ注目されたのか
強い発言と華やかなファッションが印象を残した和泉節子の評判を語る際、欠かせないのが「セッチー」という愛称です。
2000年代のテレビ番組では、息子の元彌を擁護する姿勢を隠さず、報道陣にも堂々と対応する姿が取り上げられました。華やかな衣装やアクセサリー、独特の話し方も相まって、視聴者の記憶に残る存在になりました。
一方で、宗家継承問題やダブルブッキング騒動が続いたことで、節子の強い発言が批判的に受け止められる場面もありました。
つまり、節子の評判は一面的ではありません。息子や伝統を守るために前面に立つ姿を評価する見方がある一方、強気な発言や騒動の報道によって厳しい印象を持った視聴者もいました。
本人が語ったテレビ出演の目的は狂言の普及2022年の週刊女性PRIMEのインタビューで、節子はテレビ出演や取材に応じる理由について、狂言を広めるためという趣旨の説明をしています。
また、元彌のものまねで知られるお笑いコンビ・チョコレートプラネットについても、狂言を楽しいものとして伝えていると好意的に評価していました。
この発言から見えてくるのは、節子が単に自分自身の知名度を高めようとしていたわけではなく、狂言に関心を持つ人を増やすことを意識していた点です。
狂言は長い歴史を持つ伝統芸能ですが、普段の生活で舞台に触れる機会が多いとは限りません。テレビという大衆メディアを通じて認知を広げることには、伝統芸能の普及という意味もありました。
現在の節子を評価するときに見るべきポイント2026年の近影に寄せられた反応を見ると、かつての騒動を知る世代だけでなく、現在の穏やかな姿に関心を持つ人もいます。
節子の人物像を理解する際には、次の3つの側面を分けて考えると分かりやすくなります。
- 家族を支える母親:元彌の活動を支え、宗家の継承問題でも前面に立った。
- 狂言プロデューサー:夫の存命中から公演の企画や海外公演などに携わってきた。
- テレビで知られたタレント:「セッチー」として独特の存在感を示し、狂言を広く知ってもらう役割も担った。
これらを切り離さずに見ることで、テレビでの強烈な印象だけでは分からない和泉節子の実像が見えてきます。
【よくある質問】和泉節子の現在・年齢・家族に関するFAQ
Q1:和泉節子は2026年現在何歳ですか?
A1:1942年6月11日生まれで、2026年11月現在84歳です。2026年1月に和泉元彌が公開した写真では83歳でした。
Q2:和泉節子の生年月日はいつですか?
A2:1942年6月11日です。出身地は岐阜県大垣市です。
Q3:和泉節子は現在もテレビに出演していますか?
A3:2025年10月13日放送のBSフジ「クイズ!脳ベルSHOW」への出演記録があります。また、2026年には和泉流宗家の狂言公演の出演者一覧にも名前が掲載されました。
Q4:和泉節子の夫は誰ですか?
A4:夫は和泉流十九世宗家の狂言師・和泉元秀です。1968年に結婚し、1995年6月30日に元秀が亡くなりました。
Q5:和泉節子の子どもは何人ですか?
A5:3人です。長女の和泉淳子、長男の和泉元彌、次女の三宅藤九郎です。3人とも狂言の世界と関わりを持っています。
Q6:和泉節子はなぜセッチーと呼ばれているのですか?
A6:2000年代にテレビのバラエティー番組やワイドショーに出演した際、「セッチー」という愛称で親しまれたためです。独特の話し方や華やかな衣装でも知られています。
Q7:ダブルブッキング騒動は結局どうなったのですか?
A7:2005年3月17日の東京地方裁判所の判決では、和泉元彌側の請求がすべて棄却されました。裁判所は一部の公演で遅刻や急なキャンセルなどの問題が発生したと認定する一方、すべての報道内容を事実と認めたわけではありません。
和泉節子は1942年6月11日生まれの84歳。2026年1月には和泉元彌のInstagramで近影が公開され、同年9月には和泉流宗家の公演の出演者一覧にも名前が掲載されました。
若い頃に和泉元秀と結婚し、狂言の世界に入り、夫の存命中から公演のプロデュースに携わってきた節子。夫の死後は宗家会理事長として家族と宗家を支え、2000年代には「セッチー」としてテレビでも広く知られるようになりました。
ダブルブッキング騒動については、本人や母親側の説明だけでなく、2005年の裁判所の判断も重要です。また、和泉流宗家の継承問題についても、家族側の継承認識と流派内の多数派の見解には違いがありました。
和泉節子を単なる「和泉元彌の母」や、かつて話題になったテレビタレントとしてだけ捉えると、その経歴の重要な部分を見落としてしまいます。狂言の公演を支えてきたプロデューサーであり、伝統芸能を次世代につなごうとしてきた家族の一員でもあるのです。
84歳となった現在も、和泉家の活動とともに名前が確認できる和泉節子。今後も家族がどのように狂言の伝統を受け継いでいくのか、その動向が注目されます。
主な参考資料
- 東京地方裁判所「平成14年(ワ)第20267号ほか・2005年3月17日判決」
- 日本タレント名鑑「和泉節子プロフィール」
- 十世三宅藤九郎公式家族紹介
- 週刊女性PRIME「和泉元彌の母・セッチーが明かすダブルブッキング騒動の真相」(2022年6月)
- 文春オンライン「和泉元彌インタビュー」(2024年5月)
- J-CASTニュース・ENCOUNT(2026年1月)
- 磐梯町観光協会「和泉流宗家 狂言の世界」(2026年9月)