尾崎将司さんの病気が明らかになったのは、亡くなる約1年前の2024年9月でした。
2026年2月3日、日本ゴルフジャーナリスト協会の表彰式に出席した長男・尾崎智春さんが、父親の闘病生活について詳しく説明しています。
最初に現れた異変は食後のお腹の張り智春さんの証言によると、尾崎さんは2024年、食事をするとお腹が張るなどの不調を訴えていました。
当初は病院に行くことを望んでいなかったものの、体調を心配した智春さんが受診を促し、検査を受けることになりました。
その結果、医師から告げられたのがS状結腸がんのステージ4という診断でした。
智春さんは当時について、父親よりも自分のほうが大きなショックを受けたと振り返っています。一方、尾崎さん本人は意外にも冷静に診断を受け止めていたそうです。
医師から告げられた余命と治療の選択報道によると、医師からは治療を受けなければ余命3か月という厳しい見通しが伝えられました。
一方で、抗がん剤治療によって病状が改善する可能性も説明されました。
当初、尾崎さんは積極的な治療を望まなかったといいます。しかし、医師や家族との話し合いを経て、治療に挑む決断をしました。
「ラストチャンスだな」
この言葉は、闘病生活の始まりを象徴するものとして、長男の証言を伝えたゴルフ報知などで紹介されています。
重要なのは、病気が発覚した時点で直ちに競技人生や後進の指導への思いを捨てたわけではなかったことです。治療を続けながら、自宅を拠点とした生活を送ることになります。
【闘病の全経緯】診断から死去までの時系列を整理

尾崎将司さんの闘病生活は、およそ1年間にわたりました。
長男の証言や日本ゴルフツアー機構の発表、2026年の報道を整理すると、次のようになります。
尾崎将司さんの病気・闘病に関する主要な出来事
この時系列から分かるのは、尾崎さんが診断後すぐに治療を断念したわけではないということです。
当初は抗がん剤による治療に取り組み、効果が認められた時期もありました。しかし、病状と副作用の変化によって治療方針を見直すことになりました。
【医学的に解説】S状結腸がんステージ4の症状とは?
尾崎さんの病名であるS状結腸がんは、大腸がんの一種です。
S状結腸とは、大腸の下行結腸と直腸の間にある、S字状に曲がった部分を指します。
S状結腸がんで現れる代表的な症状国立がん研究センター中央病院の解説によると、大腸がんは早期には自覚症状が乏しいことがあり、進行すると次のような症状が現れる場合があります。
- 血便や便に血が混じる
- 便秘や下痢など排便習慣の変化
- 便が細くなる
- 排便後も便が残っているような感覚
- 貧血
- 腹痛や腹部膨満感
- 吐き気や嘔吐
S状結腸は便が固形に近づく部位であるため、腫瘍によって腸管が狭くなると、便の通過障害に伴う腹痛などが生じることがあります。
ただし、これらは一般的な大腸がんの症状であり、尾崎さん本人にすべての症状があったという意味ではありません。
ステージ4とはどのような状態なのか大腸がんのステージは0から4までの5段階に分類されます。
国立がん研究センター中央病院の説明では、ステージ4は、がんの深さやリンパ節への転移の有無にかかわらず、他の臓器への遠隔転移が認められる段階です。
つまり、がんが発生した場所だけでなく、身体の別の部位にも広がっている状態を指します。
ここで注意したいのは、尾崎さんの診断がステージ4だったことは公表されていますが、具体的にどの臓器へ転移していたのかについては、今回参照した家族や関係団体の発表では明らかにされていない点です。
また、ステージ4だからといって、すべての患者に同じ症状や治療方針が当てはまるわけではありません。転移の状況や全身状態などによって治療の選択肢は変わります。
【抗がん剤治療と自宅療養】副作用に苦しみながら過ごした最後の1年
尾崎さんの闘病生活で特に注目されたのが、抗がん剤治療による身体への負担です。
2週間に1回の抗がん剤治療2026年2月の報道によると、尾崎さんは2024年10月ごろに抗がん剤治療を始めました。
開始当初は約1か月間入院し、その後は千葉市内の自宅を拠点に生活するようになりました。
治療のために新宿の病院へ通い、2週間に1回、約4時間の治療を受けていたと、智春さんが説明しています。
自宅療養といっても医療機関との関わりがなくなったわけではありません。定期的な通院を続けながら、自分の生活の場を自宅に置く形でした。
抗がん剤の効果とつらい副作用当初、抗がん剤によってがんは小さくなったといいます。
しかし、その一方で副作用が日常生活に大きな影響を与えていました。
長男の智春さんが明かした主な症状は次のとおりです。
- 味覚が失われ、食事をおいしく感じにくくなる
- 舌や手足のしびれ
- 皮膚の乾燥やかゆみ
- 食欲や食生活への影響
特に食事への影響は大きかったようです。
尾崎さんはゴルフ界でも食通として知られ、うなぎやフカヒレなどを好んでいました。しかし、抗がん剤治療中は味覚が変化し、好物だった料理も十分に味わえなくなりました。
智春さんによると、甘いものは比較的感じられたため、最後の1年ほどは果物を中心とした食生活になっていたそうです。
ゴルフで豪快なプレーを見せてきた尾崎さんが、食事という日常の楽しみにも制約を受けていたことが伝わってきます。
2025年10月に抗がん剤治療を終了した理由大きな転換点となったのは、2025年10月でした。
医師から、これまで使用していた抗がん剤の効果が弱まり、がんが再び大きくなっていると説明されたのです。
別の抗がん剤を使用する選択肢も提示されましたが、尾崎さんは副作用の負担を考え、追加の治療を望みませんでした。
その後、抗がん剤を中止すると副作用が軽減し、2025年11月には一時的に体調が良くなったといいます。
アカデミーの生徒がプレーする姿をカートに乗って見守ることもあったそうです。
ここで注目したいのは、治療をやめた後に一時的な体調改善があったことです。
抗がん剤の副作用が軽くなったことと、がんそのものが治ったことは別の問題です。実際には、その後もがんは進行していました。
智春さんの証言からは、治療によって病状を抑えることと、本人が日々をどう過ごすかという問題の両方に向き合っていた様子がうかがえます。
【ジャンボ尾崎の最期】2025年12月23日の死去と長男が語った最後の様子
2025年12月に入ると、尾崎さんの体調は再び悪化しました。
智春さんによると、医師からは年を越せる見通しを伝えられていたものの、実際にはがんの進行が予想以上に早かったといいます。
最期の数日間は緩和ケアを受けていた2025年12月上旬から体調が悪化し、緩和ケアを受けながら過ごしていました。
12月21日には、弟の尾崎健夫さん、尾崎直道さん、親交の深かった飯合肇さんが見舞いに訪れています。
このとき、尾崎さんはすでにほとんど話せない状態だったと智春さんは証言しています。
また、闘病中の楽しみになっていたのが、米大リーグで活躍する大谷翔平選手の試合を見ることでした。
ドジャースの試合を自宅で観戦し、ワールドシリーズでの優勝も見届けたといいます。
ゴルフ一筋で生きてきた尾崎さんにとって、最後の1年間は野球観戦が大きな楽しみになっていたのです。
死去した日時と場所、公式発表の内容尾崎将司さんは、2025年12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため78歳で亡くなりました。
日本ゴルフツアー機構が翌24日に発表した内容によると、本人の強い意志で自宅療養を続け、千葉市内の自宅で最期を迎えました。
葬儀は故人の遺志により、近親者のみの家族葬として執り行われました。
死去の公表は長男の智春さんによるもので、日本ゴルフ協会や日本プロゴルフ協会なども追悼のコメントを発表しています。
長男・尾崎智春さんが明かした最後の言葉尾崎さんの最期については、2026年2月と3月の報道で、智春さんが異なる場面の言葉を紹介しています。
2月の闘病生活に関する取材では、父親と最後に交わした言葉として、次の言葉を明かしました。
「もう少しだから大丈夫」
智春さんは、この言葉が文字どおりの意味だったのか、それとも天国へ行く準備ができたという意味だったのかは分からないと振り返っています。
一方、3月16日のお別れの会では、父親が最後に語った人生への思いを次のように紹介しました。
「わが人生に悔いはない」
好きなことをして、好きなものを食べ、自分らしく生きた人生に満足していたという内容でした。
この2つの発言は、闘病中の最後の会話と、お別れの会で語られた人生への思いという異なる文脈で紹介されています。
いずれも、長男が伝えた父親の言葉として大切に受け止められています。
2026年3月16日にお別れの会を開催尾崎さんのお別れの会は、2026年3月16日に東京都千代田区の帝国ホテル東京で開催されました。
発起人代表は、長年のライバルだった青木功さんです。
日本ゴルフ協会の発表によると、会には次のような人々が参列しました。
- ゴルフ界の関係者
- 一般献花に訪れたファン
- 青木功さんら競技をともにした選手
- ジャック・ニクラウスさん、トム・ワトソンさんら海外ゴルフ界の関係者
参列者は第1部と第2部を合わせて約2,000人。
祭壇は富士山とゴルフ場をモチーフに、10種類、約5,000本の花で飾られました。
2002年に最後の優勝を飾ったANAオープンの写真や、愛用のクラブ、キャディバッグ、優勝杯なども展示されました。
青木功さんが弔辞を読み、ゴルフ界の仲間たちがジャンボ尾崎の功績を振り返りました。
【現在と生涯の功績】尾崎将司が日本ゴルフ界に残したもの
尾崎将司さんは、1947年1月24日、徳島県に生まれました。
ゴルファーになる前は高校野球の選手で、1964年の選抜高校野球大会では徳島海南高校のエースとして優勝を経験しています。
翌1965年には西鉄ライオンズに投手として入団しましたが、その後ゴルフへ転身。1970年にプロ入りしました。
国内ツアー通算94勝、賞金王12回の偉業尾崎さんの最大の功績は、国内男子ツアーで積み重ねた圧倒的な勝利数です。
日本ゴルフツアー機構の公式プロフィールによると、プロ通算113勝、うち国内ツアー94勝という記録を残しました。
| 主な実績 | 記録 |
|---|---|
| 国内ツアー通算勝利 | 94勝 |
| プロ通算勝利 | 113勝 |
| 賞金王 | 12回 |
| 2002年ANAオープン優勝 | 55歳 |
| 世界ゴルフ殿堂入り | 2010年 |
| 生涯獲得賞金 | 約26億8,884万円 |
特に注目されるのが、40歳を過ぎてからも強さを発揮したことです。
1994年から1998年まで5年連続で賞金王に輝き、年齢を重ねても第一線で勝利を積み重ねました。
2002年のANAオープンでは55歳で優勝。ツアー制度施行後の最年長優勝記録として知られています。
青木功・中嶋常幸と築いたAON時代1980年代から1990年代の日本男子ゴルフ界を語るうえで欠かせないのが、尾崎将司さん、青木功さん、中嶋常幸さんの3人です。
それぞれの頭文字を取った「AON」という呼び名で親しまれ、日本の男子ゴルフ人気を押し上げました。
尾崎さんの豪快な飛距離と勝負強さは、ライバルとの競争によってさらに際立ちました。
日本ゴルフ協会は、尾崎さんの功績について、圧倒的な飛距離と繊細なショートゲームによって従来のゴルフの常識を超えたと評価しています。
晩年は若手育成に力を注いだ尾崎さんは現役選手としてだけでなく、後進の育成にも力を入れました。
千葉県内にジャンボ尾崎ゴルフアカデミーを設立し、若い選手たちを指導してきました。
指導を受けた選手には、次のような名前があります。
- 原英莉花選手
- 笹生優花選手
- 西郷真央選手
- 佐久間朱莉選手
日本ゴルフ協会も、こうした選手たちが尾崎さんの指導を受けて才能を開花させたと紹介しています。
2026年3月のお別れの会では、長男の智春さんがアカデミーの存続について、父親の意思を受け継ぎたいと語りました。継続には資金面などの課題があり、今後について模索していく考えも示しています。
加えて、2026年4月には日本ゴルフ殿堂の2026年度顕彰者にも選出されました。
現役時代の記録だけでなく、次世代の選手を育てた功績も評価され続けています。
【ジャンボ尾崎の病気】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジャンボ尾崎さんの死因は何ですか?
A1:2025年12月23日、S状結腸がんのため78歳で亡くなりました。死亡時刻は午後3時21分で、千葉市内の自宅で療養中でした。
Q2:ジャンボ尾崎さんがステージ4と診断されたのはいつですか?
A2:2024年9月です。食後のお腹の張りなどの体調不良から病院で検査を受け、S状結腸がんステージ4と診断されました。
Q3:ジャンボ尾崎さんは抗がん剤治療を受けていましたか?
A3:はい。2024年10月ごろから2週間に1回の抗がん剤治療を続けていました。がんが小さくなった時期もありましたが、副作用が強く、2025年10月には治療を終了しました。
Q4:ジャンボ尾崎さんは最後まで自宅で療養していたのですか?
A4:本人の強い意志で自宅療養を続けていました。2024年10月ごろの入院後は、千葉市内の自宅を拠点に通院治療を受け、最期も自宅で迎えています。
Q5:ジャンボ尾崎さんのお別れの会はいつ開催されましたか?
A5:2026年3月16日、帝国ホテル東京で開催されました。青木功さんが発起人代表を務め、関係者や一般献花者など約2,000人が参列しました。
Q6:ジャンボ尾崎さんの国内ツアー通算勝利数はいくつですか?
A6:国内男子ツアー通算94勝です。プロ通算では113勝、賞金王は12回という輝かしい記録を残しました。
ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんは、2024年9月にS状結腸がんステージ4と診断され、約1年間にわたって闘病生活を送りました。
抗がん剤治療によってがんが縮小した時期もありましたが、味覚障害や手足のしびれなどの副作用に苦しみ、2025年10月に治療を終了。その後は自宅で緩和ケアを受けながら過ごし、同年12月23日に78歳で亡くなりました。
長男の智春さんが伝えた最後の言葉や、お別れの会で語られた人生への思いからは、尾崎さんらしい生き方が浮かび上がります。
国内ツアー94勝、プロ通算113勝、賞金王12回。
これらの数字は、日本男子ゴルフ界に残した圧倒的な足跡です。
加えて、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーを通じて若手を育成し、原英莉花選手や笹生優花選手、西郷真央選手ら次世代の活躍にも影響を与えました。
2026年にはお別れの会が開催され、日本ゴルフ殿堂への選出も実現しています。
尾崎将司さんが残したものは、単なる勝利数や記録だけではありません。豪快なプレーでゴルフファンを魅了し、後進に技術と情熱を伝えた、その生涯そのものが日本ゴルフ界の財産となっています。
主な参考資料・報道
- 日本ゴルフツアー機構:2025年12月24日付の訃報、選手プロフィール
- 日本ゴルフ協会:2025年12月の訃報、2026年3月のお別れの会
- 日本プロゴルフ協会:尾崎将司氏の追悼発表
- スポーツ報知:2026年2月3日の長男・智春氏による闘病生活の証言
- 日本ゴルフジャーナリスト協会:2026年2月4日の闘病生活に関する報告
- 国立がん研究センター中央病院:大腸がんの症状・ステージ分類
※記事の医療解説は一般的な大腸がんの情報であり、尾崎さん個人の診療記録を示すものではありません。
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