男子バレー日本代表の歴代監督は、1923年に初期の全日本チームを率いた多田徳雄から、2026年現在のロラン・ティリまで、時代ごとに大きく入れ替わってきました。東京オリンピックやミュンヘンオリンピックでのメダル獲得を支えた松平康隆、16年ぶりの五輪出場を実現した植田辰哉、東京2020でチームをベスト8に導いた中垣内祐一、ネーションズリーグでメダルを獲得したフィリップ・ブランなど、それぞれの指揮官が日本男子バレーの歴史に足跡を残しています。
2026年現在の監督は、フランス代表を東京オリンピック金メダルに導いたロラン・ティリです。歴代監督の名前と在任期間だけでなく、就任・退任の経緯、オリンピック成績、指導スタイルの変化を整理すると、日本代表がどのように世界の強豪国へ再び近づいてきたのかが見えてきます。
【2026年最新】男子バレー日本代表の現在の監督はロラン・ティリ

2026年度の男子日本代表監督を務めているのは、フランス出身のロラン・ティリ(Laurent Tillie)です。
日本バレーボール協会(JVA)は2024年11月25日、ロサンゼルス2028オリンピックを見据えた次期男子日本代表監督として、ティリ氏の就任内定を発表しました。その後、2025年度から正式に指揮を執り、2026年度のJVA公式代表メンバーにも監督として掲載されています。
ティリ監督は、選手としても指導者としても豊富な国際経験を持つ人物です。単に海外から招かれた指導者というだけではなく、世界トップレベルの代表チームを率いて結果を残してきた実績があります。
ロラン・ティリ監督の経歴と主な実績ティリは1963年12月1日生まれ。現役時代はフランス代表のウイングスパイカーとして活動し、1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックにも出場しました。
監督としては、2001年から2012年までフランスのASカンヌを率い、2005年に国内リーグ優勝、2007年には国内カップ優勝を経験しています。
その後、チェコ男子代表を経て、2012年から2021年までフランス男子代表監督を務めました。特に2021年の東京オリンピックでは、フランスを男子バレーボール初のオリンピック金メダルへ導いています。
ティリ監督の代表的な実績は次のとおりです。
- 2015年:ワールドリーグ優勝
- 2015年:ヨーロッパ選手権優勝
- 2017年:ワールドリーグ優勝
- 2018年:ネーションズリーグ準優勝
- 2021年:ネーションズリーグ3位
- 2021年:東京オリンピック金メダル
日本代表監督への就任前には、2020年からパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)の監督も務めていました。日本の国内リーグを経験していることも、代表チームの指揮官として大きな特徴です。
JVAが2024年11月に公表した監督内定発表では、ティリ本人も日本代表のプロジェクトに対する責任と挑戦への意欲を表明しています。海外での代表監督経験と日本国内でのクラブ指導経験を併せ持つ点が、後任選考における重要な要素だったと考えられます。
2026年の龍神NIPPONは何を目指すのかティリ体制の最大の目標は、2028年ロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得です。
日本男子は2024年パリオリンピックで7位に終わりました。予選リーグを突破して準々決勝に進出したものの、イタリアとの接戦に2対3で敗れています。
一方、2023年と2024年のネーションズリーグで連続してメダルを獲得した日本には、世界の上位国と互角に戦う力が備わりつつあります。
2026年度のJVA公式登録でもティリ監督の続投が確認でき、ロサンゼルス大会へ向けた強化体制が継続しています。
【完全年表】男子バレー日本代表の歴代監督一覧と在任期間
男子日本代表の監督の歴史は、1923年までさかのぼります。ただし、初期の全日本チームは現在のように毎年継続して活動する代表チームではありませんでした。極東選手権などの国際大会に合わせて編成されていたため、戦前の監督については連続した在任期間ではなく、担当した年で整理する必要があります。
以下は、歴代監督の主な担当年・在任期間を時系列にまとめた一覧です。
| 監督名 | 担当年・在任期間 | 主な位置づけ・実績 |
|---|---|---|
| 多田徳雄 | 1923・1925・1927・1930年 | 初期の全日本チームを指揮 |
| 前田豊 | 1954年 | 戦後の代表再編期 |
| 長崎重芳 | 1955・1958・1960・1962年 | 戦後の代表強化期 |
| 和田助則 | 1955年 | 戦後の代表指導 |
| 坂上光男 | 1957・1958・1961〜1964・1976年 | 1964年東京五輪男子代表監督 |
| 松平康隆 | 1965〜1972年 | 1968年五輪銀、1972年五輪金 |
| 小山勉 | 1973〜1976年、1986〜1988年 | 2度にわたり代表を指揮 |
| 中村祐造 | 1977〜1980年 | 1970年代後半の代表指導 |
| 中野尚弘 | 1980〜1984年 | 1980年代前半の代表指導 |
| 斎藤勝 | 1984〜1986年 | 1980年代中盤の代表指導 |
| 南将之 | 1989〜1990年 | 世代交代期の指揮 |
| 大古誠司 | 1991〜1995年 | 1990年代前半の代表指導 |
| 辻合真一郎 | 1996年 | 1990年代の代表指導 |
| 寺廻太 | 1997〜2000年 | 2000年シドニー五輪出場を目指した時期 |
| 田中幹保 | 2001〜2004年 | 2000年代初頭の代表指導 |
| 植田辰哉 | 2005〜2013年 | 北京五輪出場、2009年国際大会銅メダル |
| ゲーリー・サトウ | 2013〜2014年 | 男子代表初の外国人監督 |
| 南部正司 | 2014〜2016年 | リオ五輪出場を目指した強化 |
| 中垣内祐一 | 2017〜2021年 | 東京2020オリンピック7位 |
| フィリップ・ブラン | 2021〜2024年 | VNL2023銅、2024銀 |
| ロラン・ティリ | 2025年〜 | 2026年現在の監督、LA2028を目指す |
※歴代監督の一覧は、スポーツ史資料などに掲載されている担当年を基準に整理しています。戦前・戦後初期は大会ごとの編成が中心で、現代のような連続した監督任期とは異なります。また、植田辰哉は2004年に暫定監督へ就任し、2005年から2013年まで代表監督を務めました。
この年表で注目したいのは、1960年代から1970年代前半の黄金期と、2000年代以降の再建期です。日本男子バレーは、一人の名将が長期間率いることで成果を上げた時代もあれば、外国人指導者の招聘やスタッフ体制の刷新によって変化を図った時代もあります。
歴代監督の変遷を理解するには、単純な就任年だけでなく、当時の代表が置かれていた国際競争の状況も合わせて見る必要があります。
【松平康隆・植田辰哉・歴代名将】日本男子バレーを変えた指導者たち
松平康隆|ミュンヘン五輪金メダルを実現した名将男子バレー日本代表の歴史を語るうえで、松平康隆の存在は欠かせません。
松平は1965年から1972年まで男子日本代表監督を務め、日本男子バレーを世界トップクラスへ押し上げた指導者です。
ただし、ここで一つ重要な誤解を整理しておきましょう。1964年東京オリンピックの男子代表監督は松平ではなく、坂上光男でした。JVAの公式記録でも、東京大会の監督は坂上光男、松平康隆はコーチとして記録されています。
松平が監督として臨んだ1968年メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得。続く1972年ミュンヘンオリンピックでは、決勝で東ドイツを破り、男子日本代表にとって歴史的な金メダルをもたらしました。
JVAの公式沿革にも、松平康隆監督率いる男子代表が1972年ミュンヘン大会で金メダルを獲得したことが記録されています。
松平の功績は、単に優秀な選手を集めたことではありません。戦術、選手育成、組織づくりを一体化させ、世界の強豪国と戦うためのチームを構築した点にあります。
1964年の銅メダル、1968年の銀メダル、1972年の金メダルという流れは、日本男子バレーが世界の頂点へ向かった象徴的な時代です。
植田辰哉|16年ぶりのオリンピック出場を実現2000年代の男子日本代表を語るうえで重要なのが、植田辰哉です。
植田は現役時代に日本代表のセンターとして活躍し、1992年バルセロナオリンピックにも出場しました。引退後は新日鐵やジュニア男子日本代表の指導を経験し、2004年に暫定監督、2005年から男子日本代表の監督を務めました。
植田体制の最大の成果は、2008年北京オリンピックへの出場です。日本男子は1992年バルセロナ大会以来、16年ぶりにオリンピックの舞台へ戻りました。
主な実績は次のとおりです。
- 2005年:アジア選手権優勝
- 2006年:世界選手権ベスト8
- 2007年:アジア選手権準優勝
- 2008年:北京オリンピック出場
- 2009年:アジア選手権優勝
- 2009年:ワールドグランドチャンピオンズカップ3位
- 2010年:アジア競技大会優勝
特に2009年のワールドグランドチャンピオンズカップでの銅メダルは、男子日本代表にとって32年ぶりの国際大会メダルとして評価されました。
一方、北京オリンピック本大会では11位に終わり、2012年ロンドンオリンピックの出場権も獲得できませんでした。強化の成果と世界トップとの実力差が、同時に表れた時期でもあります。
南部正司|世代交代と強化を担った指揮官2014年2月5日、JVAはゲーリー・サトウ監督から南部正司監督への交代を発表しました。
南部は現役時代に日新製鋼や松下電器でプレーし、引退後はパナソニックパンサーズのコーチ、監督を経験した人物です。国内リーグでの指導経験を持つ日本人監督として、リオデジャネイロオリンピックを目標に代表強化を担いました。
2015年のワールドカップでは、若手選手を積極的に登録する方針を示しています。JVAの発表によれば、同年の登録メンバー30人には高校生・大学生が8人含まれていました。
これは目先の大会成績だけでなく、2016年リオ大会、2020年東京大会を見据えた選手育成を重視していたことを示しています。
しかし、2016年リオデジャネイロオリンピックの出場権は獲得できず、南部体制は2016年までとなりました。
【監督交代の経緯】ゲーリー・サトウから中垣内祐一、ブランへ
2010年代から2020年代にかけて、男子日本代表では監督交代と指導体制の再構築が続きました。この時期は、日本代表が世界の強豪国に追いつくため、従来の強化方法を見直していった時代でもあります。
ゲーリー・サトウ|男子代表初の外国人監督ゲーリー・サトウは2013年に就任した、男子日本代表初の外国人監督です。
アメリカ出身の指導者で、過去にはアメリカ男子代表のコーチなどを経験しています。日本代表には新しい指導方法や国際的な視点を取り入れる役割が期待されました。
しかし、2016年リオオリンピックを目指す強化過程で成績が安定せず、2014年2月に南部正司へ監督が交代しました。サトウの在任は約1年と短いものでした。
中垣内祐一|東京オリンピックで29年ぶりの8強2017年から2021年まで代表を率いたのが、中垣内祐一です。
中垣内は現役時代に日本代表のエースとして活躍した選手で、引退後は堺ブレイザーズなどで指導経験を積みました。
2017年度の代表活動開始時には、2016年に発生した交通事故への対応により、中垣内本人が対外活動を控えることになりました。そのため、JVAは同年5月、コーチだったフィリップ・ブランを監督代行に選任しています。
この経緯は、JVAが2017年5月11日に公表した公式発表にも記録されています。
中垣内体制の大きな目標は、2020年東京オリンピックでの上位進出でした。大会は新型コロナウイルスの影響で2021年に開催され、日本男子は予選リーグを突破して準々決勝へ進出。最終順位は7位でした。
メダル獲得には届かなかったものの、男子日本代表がオリンピックの決勝トーナメントに進んだことは、長く続いていた低迷からの回復を示す結果でした。
中垣内は2021年9月末、任期満了に伴い退任しました。
フィリップ・ブラン|世界ランキング2位とVNL連続メダル中垣内の後任として、2021年10月に監督へ就任したのがフィリップ・ブランです。
ブランはフランス出身で、現役時代はフランス代表としてプレー。引退後はフランス代表監督やポーランド代表コーチなどを歴任しました。
2017年から日本代表のコーチを務めており、中垣内体制を内部から支えてきた人物でもあります。チームの選手や戦術を理解していたことから、強化の継続性という面でも注目されました。
ブラン体制で特に大きな成果となったのが、ネーションズリーグ(VNL)での躍進です。
- 2023年:ネーションズリーグ銅メダル
- 2024年:ネーションズリーグ銀メダル
- 2024年6月:世界ランキング2位
- 2024年パリオリンピック:7位
2023年の銅メダルは、日本男子にとって主要な国際大会で46年ぶりとなるメダル獲得として注目されました。2024年にはさらに順位を上げ、銀メダルを獲得しています。
JVAが2024年8月に公表したシーズン総括でも、ブラン監督は2023年と2024年を特別な成果を残したシーズンとして振り返っています。
ただし、パリオリンピックでは準々決勝でイタリアに2対3で敗れ、最終順位は7位。大会後、ブランは日本代表監督を退任しました。
ブラン体制の成果は、オリンピックの順位だけでは測れません。世界ランキングの上昇やVNLでの連続メダルは、日本男子が年間を通じて強豪国と競えるチームへ成長したことを示す実績です。
【男子日本代表のオリンピック成績】歴代監督とメダル獲得の関係
男子バレー日本代表の歴史を振り返ると、オリンピックでの成績には明確な波があります。
1964年東京大会から1972年ミュンヘン大会までは3大会連続でメダルを獲得しました。その後は世界の競技レベルの上昇などもあり、長期間メダルから遠ざかっています。
歴代監督の実績を評価する際には、当時の大会結果と出場権を獲得するまでの過程を分けて見ることが大切です。
男子日本代表の主要オリンピック成績- 1964年東京:3位・銅メダル。監督は坂上光男。
- 1968年メキシコ:2位・銀メダル。監督は松平康隆。
- 1972年ミュンヘン:1位・金メダル。監督は松平康隆。
- 1976年モントリオール:4位。
- 1992年バルセロナ:6位。
- 2008年北京:11位。植田辰哉体制。
- 2020年東京:7位。中垣内祐一体制。
- 2024年パリ:7位。フィリップ・ブラン体制。
なお、2012年ロンドン大会と2016年リオ大会は出場権を獲得できませんでした。
なぜ1972年以降、金メダルから遠ざかったのか1972年のミュンヘン大会で頂点に立った日本男子は、その後も1976年モントリオール大会で4位に入るなど、国際舞台で一定の競争力を維持していました。
しかし、世界各国の大型化やパワーを生かした攻撃、ブロックとサーブを組み合わせた戦術の高度化などにより、国際競争は激しさを増していきました。
日本が得意としてきた守備やコンビネーション攻撃だけでは、世界のトップに対抗することが難しくなったのです。
2000年代以降の代表強化では、フィジカル面の強化、海外の戦術の導入、選手の国際経験の増加などが課題となりました。
植田辰哉時代の北京五輪出場、中垣内・ブラン体制での東京五輪8強、ブラン時代のVNL連続メダルは、こうした長年の課題に取り組んできた成果として位置づけられます。
【プロの結論】男子バレー日本代表の監督交代から見える強化方針の変化
歴代監督の実績を比較すると、日本男子バレーの強化方針は大きく3つの時代に分けられます。
第1期:松平康隆を中心とした世界一への挑戦1960年代から1970年代前半は、日本独自の戦術と組織力を武器に世界の頂点を目指した時代です。
松平康隆が率いたチームは、緻密な連携や守備力、選手の役割分担を徹底し、ミュンヘン五輪で金メダルを獲得しました。指導者の戦術的な発想と選手の実行力が結びついた成功例です。
第2期:植田辰哉から南部正司までの再建と国際化2000年代から2010年代半ばにかけては、世界との実力差を埋めることが大きなテーマでした。
植田は北京五輪出場やアジア大会優勝などの成果を残しました。一方、2012年ロンドン大会では出場権を獲得できず、南部体制でもリオ大会への出場は実現しませんでした。
この時期には外国人監督の起用も行われ、国際的な視点を強化に取り入れる動きが進みました。
第3期:ブランからティリへ続く世界基準のチームづくり2017年以降は、海外の指導経験を持つスタッフの力を活用しながら、代表チームの競争力を高める方向へ進んでいます。
中垣内の下でコーチを務めたブランは、その後監督に昇格し、VNLで連続メダルを獲得しました。さらに2025年からは、フランス代表をオリンピック金メダルへ導いたティリが指揮を執っています。
ここで注目したいのは、外国人監督を採用すること自体が目的ではない点です。重要なのは、世界のトップレベルで培われた戦術やトレーニング方法を、日本人選手の特性や国内の育成環境とどう融合させるかという部分です。
ティリ体制では、これまでの日本代表が積み重ねてきた守備力や組織力を生かしながら、世界の強豪と競り合うための攻撃力や試合運びをさらに磨くことが大切です。
歴代監督の実績を比較するときの判断基準監督の評価を単純な勝敗やメダルの数だけで決めるのは適切ではありません。時代によって国際大会の参加国数、競技レベル、代表選手の層、強化環境が異なるからです。
歴代監督を比較する際は、次の4点を見ると実績の違いを理解しやすくなります。
- 国際大会の成績:オリンピック、世界選手権、VNLなどでどの順位を残したか。
- 出場権の獲得:オリンピックなどの大舞台にチームを導いたか。
- 選手育成:若手の登用や次世代の代表選手の育成に貢献したか。
- チームの競争力:世界ランキングや強豪国との対戦内容に改善が見られたか。
例えば、松平康隆はオリンピックのメダル実績、植田辰哉は北京五輪出場と国際大会での成果、ブランは世界ランキングとVNLの成績で評価できます。
一方、2026年のティリ監督については、ロサンゼルス五輪に向けた強化過程と今後の国際大会の結果を合わせて評価する必要があります。
【男子バレー日本代表の歴代監督】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:男子バレー日本代表の初代監督は誰ですか?
A1:初期の全日本チームを率いた人物として知られるのは多田徳雄です。1923年、1925年、1927年、1930年の極東選手権などの時期に指揮を執りました。当時は現在のような継続的な代表活動ではなく、大会ごとにチームが編成されていました。
Q2:2026年現在の男子バレー日本代表監督は誰ですか?
A2:2026年現在の監督はロラン・ティリです。2024年11月に次期監督への就任が内定し、2025年度から男子日本代表を指揮しています。
Q3:松平康隆監督は東京オリンピックで金メダルを獲得したのですか?
A3:いいえ。1964年東京オリンピックの男子代表監督は坂上光男で、松平康隆はコーチでした。松平が監督として獲得したオリンピックのメダルは、1968年メキシコ大会の銀メダルと1972年ミュンヘン大会の金メダルです。
Q4:植田辰哉監督の在任期間はいつからいつまでですか?
A4:2005年から2013年までです。2004年には暫定監督に就任しており、2008年北京オリンピックでは日本男子を16年ぶりの五輪出場へ導きました。
Q5:フィリップ・ブラン監督の主な実績は何ですか?
A5:男子日本代表監督として2023年ネーションズリーグ銅メダル、2024年ネーションズリーグ銀メダルを獲得しました。2024年6月には世界ランキング2位にも到達しています。
Q6:中垣内祐一監督の在任期間とオリンピック成績は?
A6:2017年4月から2021年9月まで男子日本代表を率いました。2021年に開催された東京オリンピックでは7位となり、チームを決勝トーナメントへ導きました。
Q7:男子バレー日本代表でオリンピック金メダルを獲得した監督は誰ですか?
A7:1972年ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得した際の監督は松平康隆です。男子日本代表は1964年東京大会の銅、1968年メキシコ大会の銀に続き、ミュンヘン大会で初の金メダルを獲得しました。
男子バレー日本代表の歴代監督を振り返ると、1923年の多田徳雄から2026年のロラン・ティリまで、日本のバレーボールは指導者の交代とともに大きな変化を遂げてきました。
特に重要な節目となったのは、松平康隆によるミュンヘン五輪金メダル、植田辰哉による北京五輪出場、中垣内祐一体制での東京五輪8強、フィリップ・ブラン体制でのVNL連続メダルです。
そして2026年現在、日本代表を率いるのはロラン・ティリです。フランス代表を東京オリンピック金メダルへ導いた経験を持つ指揮官のもと、男子日本代表は2028年ロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得を目指しています。
歴代監督の実績を見るときは、単純な在任期間や勝敗だけでなく、就任時のチーム状況、国際大会の結果、選手育成への貢献を合わせて判断することが大切です。
松平時代の黄金期を再現するだけではなく、現代の世界バレーに適応した新しい強さを築けるか。ティリ監督と龍神NIPPONの挑戦は、日本男子バレーの次の歴史を左右する重要な期間になりそうです。
主な参照資料
- 日本バレーボール協会「2026年度男子日本代表」
- 日本バレーボール協会「国際大会記録・オリンピック」
- 日本バレーボール協会「男子日本代表チーム新監督内定のお知らせ」(2024年)
- 日本バレーボール協会「バレーボール男女日本代表チーム シーズン総括コメント」(2024年)
- 日本オリンピック委員会「ミュンヘン男子バレーボールの記録」
- 植田辰哉公式プロフィール・監督実績資料