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【2人の馴れ初め】出会いは平昌五輪前の研修会だった

藤堂 弦 藤堂 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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ゴールドウインの公式プロフィールによると、河野さんは1991年10月生まれ、長野県野沢温泉村出身。幼少期からスキーに親しみ、小学4年生で競技を始めました。

高校時代にはジュニア日本代表に選出され、その後、コンチネンタルカップで結果を残して全日本チーム入り。ワールドカップのスラロームにも挑戦しています。しかし、平昌オリンピックの選考レース後に現役引退を決意しました。

引退後はオーストリアに渡り、現地のスキー強化体制や指導方法を学習。指導者資格や語学を身につけ、オーストリアのアルペンチームスタッフを経て、日本代表選手の育成に携わるようになりました。2026年からは全日本スキー連盟のヘッドコーチとして活動しています。

吉田さんと河野さんが初めて顔を合わせたのは、2018年平昌オリンピックの約1年前。東京都北区赤羽にあるナショナルトレーニングセンターで開かれた、五輪出場を目指す強化指定選手向けの講習会でした。

当時、吉田さんはロコ・ソラーレの選手、河野さんはアルペンスキーの現役選手。競技は異なっていましたが、同じ世代のトップアスリートとして接点が生まれました。

講習会後の懇親会では、河野さんが吉田さんだけでなくロコ・ソラーレのメンバー全員に声をかけたそうです。吉田さんの印象に残ったのは、体格の大きさと丁寧な話し方だったといいます。

偶然の再会が交際につながった

最初から恋愛関係に発展したわけではありません。連絡先を交換し、SNSをフォローし合う程度の、冬季競技の選手同士のつながりでした。

ところが、その後、偶然の再会が何度も続きます。吉田さんが品川駅にいると投稿すると、ビザ更新のために日本に戻っていた河野さんから連絡が来たり、ロンドンを一人旅していた吉田さんに、オーストリアへの訪問を誘う連絡が届いたりしたそうです。

吉田さんが2026年6月の文春オンラインのインタビューで語ったところによると、次第に食事をする機会が増え、河野さんに対して「この人には何でも相談できるかも」という安心感を抱くようになりました。

交際が始まったのは2021年夏。吉田さんにとって、結婚を現実的に考えるようになった相手でもありました。

2人の関係と主な出来事を時系列で整理
時期 出来事・2人の関係 2017年ごろ 平昌五輪の約1年前、赤羽のナショナルトレーニングセンターで初対面。 2018年 河野さんが現役を引退し、スキー指導者の道へ。オーストリアで経験を積む。 2021年夏 交際開始。お互いの競技や海外生活を尊重する関係に。 2022年7月26日 吉田さんの31歳の誕生日に入籍。 2022年7月27日 吉田さんがSNSで結婚を公表。多拠点婚についても説明。 2026年3月31日 吉田さんが12年間所属したロコ・ソラーレを退団。 2026年4月以降 プロカーラーとしてROCK LEAGUEに参戦。 2026年7月26日 結婚4周年。夫婦の記念写真を公開。 2026年11月2日 結婚後から続けてきたコラムの30話目を紹介。夫婦の近況も報告。

この経緯を見ると、2人は出会ってすぐに結婚したのではなく、競技生活や海外での仕事を通じて、お互いの価値観を知っていったことが分かります。

【羽田空港でプロポーズ】最初に結婚を切り出したのは吉田知那美

吉田知那美結婚

吉田さんの結婚エピソードで特に印象的なのが、羽田空港でのプロポーズです。

2026年6月13日公開の文春オンラインのインタビューで、吉田さんは初めて詳しい舞台裏を明かしました。意外にも、最初に結婚を切り出したのは河野さんではなく吉田さん本人でした。

羽田空港の搭乗口で突然の一言

その日は東京での仕事を終えた吉田さんが、北海道に帰る日。河野さんが車で羽田空港まで送り届けてくれたといいます。

飛行機の出発時間が近づき、吉田さんが搭乗口へ向かおうとしていた、その別れ際でした。

「あのさ……結婚しよっか。じゃあね!」

吉田さんは、その場で思いついて結婚を提案したそうです。河野さんも「そうだね、結婚しようか」と応じましたが、すぐに搭乗時間が来てしまいます。

そのまま吉田さんは保安検査場を通過し、女満別行きの飛行機に乗りました。ドラマのような演出や長い言葉ではなく、いつもの別れ際に突然訪れたプロポーズだったのです。

成田空港では河野恭介から改めてプロポーズ

河野さんには、最初のプロポーズについて「一生に一度の言葉をちなに先に言わせてしまった」という思いがあったそうです。

そこで、吉田さんがカナダでグランドスラムの大会に出場し、日本に帰国した約1か月後、河野さんは成田空港で大きな花束を持って出迎えました。

そして、改めて結婚を申し込みます。

「前回は俺から言えてなかったから、改めて。結婚しよう」

こうして、羽田空港では吉田さんから、成田空港では河野さんから、2人がそれぞれ結婚を申し込む形になりました。

吉田さんはインタビューで、どちらも空港がプロポーズの場所になったことを振り返っています。遠征や移動が日常にあるアスリート夫婦らしい、2人の人生を象徴するエピソードです。

【多拠点婚の実態】北海道・長野・カナダ・オーストリアで暮らす夫婦

吉田さんと河野さんの結婚生活を理解するうえで欠かせない言葉が「多拠点婚」です。

一般的な夫婦生活では、同じ住居を生活の中心に置き、仕事や旅行の際に一時的に離れるスタイルが多く見られます。しかし、2人の場合は、それぞれの競技や指導の仕事に合わせて生活する場所そのものが変わります。

2人の生活拠点はどこ?

2022年の結婚発表時、吉田さんは北海道、長野、カナダ、ヨーロッパなど複数の地域で生活することを説明していました。

2026年3月のTHE ANSWERのインタビューでは、当時の具体的な生活パターンについても語っています。

- 吉田さん: 北海道北見市、長野県野沢温泉村、カナダ。
- 河野さん: 北海道北見市、長野県野沢温泉村、オーストリア。

特に競技シーズンは生活場所が分かれます。吉田さんは基本的に9月から3月までカナダを拠点とし、河野さんは同じ時期にオーストリアで指導に携わっていました。

つまり、夫婦で同じ場所に住むことだけを優先するのではなく、それぞれが競技や仕事で成果を出せる環境を守ってきたのです。

離れていても夫婦関係を維持できる理由

遠距離生活では、連絡の頻度や意思疎通が関係を左右します。吉田さんは、河野さんとの交際を通じて、苦手だった電話やビデオ通話への抵抗感がなくなったと話しています。

河野さんはオーストリアの山の景色や朝日の様子をビデオ通話で伝え、日々の出来事をこまめに共有していたそうです。

吉田さんも、離れているからこそ気持ちを言葉にすることを大切にしています。THE ANSWERのインタビューでは、夫婦のコミュニケーションについて次のように語りました。

「大好きだよ、愛してるよ、と全部、言葉にしています。」

一緒に過ごせるときには手をつないで歩くことも大切にしているそうです。遠距離生活を単なる我慢と捉えるのではなく、会える時間を楽しみにする暮らし方を選んでいます。

多拠点婚は妥協ではなく夫婦で決めた選択

吉田さんが強調しているのは、夫婦生活と仕事のどちらかを犠牲にする必要はないという考え方です。

インタビューでは、当時の2人にとって競技や指導が最優先だったことを説明しています。カーリング選手として世界を転戦する吉田さんと、アルペンレーサーを育成する河野さん。どちらも今だからこそ取り組める仕事として大切にしていました。

そのため、夫婦の暮らし方を決める際にも、どちらか一方が相手の仕事に合わせるのではなく、お互いの目標を尊重することを選んだのです。

多拠点婚の本質は、単純に夫婦が離れて暮らすことではありません。仕事の独立性と家庭のつながりを両立させるために、2人で生活設計を組み立てることにあります。

【結婚4周年と2026年11月の現在】夫婦生活はどう変化した?

2026年7月26日、吉田さんと河野さんは結婚4周年を迎えました。

結婚当初は海外で別々に過ごす時間が長かった2人ですが、2026年には吉田さんの競技環境が大きく変わり、夫婦の生活にも新しい動きが出ています。

2026年6月には夫の実家で初めて長期間の生活

文春オンラインが2026年6月13日に掲載したインタビューによると、吉田さんはロコ・ソラーレを退団した後、長野県野沢温泉村にある河野さんの実家を拠点に生活していました。

結婚4年目にして、河野さんの実家でこれほど長く一緒に過ごすのは初めてだったそうです。

河野家は旅館を営んでおり、世界中から訪れる宿泊客を迎える家庭。吉田さんは、家族の距離感や自然なスキンシップに驚いたと振り返っています。

特に印象的なのは、家族全員が料理をする習慣です。夕食の時間になると、河野さんや兄、両親がそれぞれ料理を担当。食後の片付けはカードゲームの「ハゲタカのえじき」で決めるのだとか。

吉田さんは、こうした家庭環境を知ることで、夫の人柄への理解がさらに深まったと話しています。

また、夫婦が長く離れて暮らしてきたことについても、意外なメリットを感じている様子でした。一緒にいる時間が限られていたからこそ、相手に対して気遣いを持ちやすく、これから一緒に過ごす時間にも楽しみが残っているという考え方です。

2026年7月の結婚4周年に夫婦写真を公開

2026年7月28日の日刊スポーツは、吉田さんが結婚4周年を迎え、河野さんとの浴衣姿のツーショットを公開したと報じました。

写真は長野県野沢温泉の温泉街で撮影されたもので、手をつないで歩く姿などが紹介されています。

吉田さんは投稿で、野沢温泉で夫婦一緒に過ごせたことを喜び、河野さんへの感謝と愛情を表現しました。

「毎日ありがとう、毎日大好きだぜ」

海外で別々に活動する時期があっても、結婚記念日には一緒に過ごす時間を大切にしていることが伝わる投稿でした。

2026年11月2日には結婚後から続くコラムが30話目に

2026年11月4日時点で確認できる直近の夫婦関連ニュースは、11月2日の日刊スポーツの報道です。

吉田さんは、2022年から「ネッツトヨタ北見」のサイトで続けているコラムの30話目を紹介しました。

結婚したばかりの時期に始めた連載で、ヨーロッパ、カナダ、日本を行き来する遠距離の夫婦生活についても、自分の言葉で記録してきたといいます。

吉田さんは、連載開始当時を振り返り、現在も自分たちらしい夫婦生活を楽しんでいると報告。夫の河野さんと寄り添う写真も公開しました。

特筆すべきなのは、結婚4周年を迎えた後も、夫婦の関係を継続的に自分の言葉で発信していることです。結婚発表時の多拠点婚という選択が、一時的な話題ではなく、2人の生活のあり方として続いていることがうかがえます。

【結婚後のカーリング活動】ロコ・ソラーレ退団と新しいキャリア

吉田さんの2026年を語るうえで、もう一つ大きな出来事があります。それが、12年間所属したロコ・ソラーレからの退団です。

2026年3月31日、吉田さんは自身のSNSで同日をもって退団することを発表しました。2014年に加入して以来、長年ともに戦ってきたチームとの大きな節目でした。

ロコ・ソラーレを退団した理由は結婚だけではない

吉田さんは2026年6月の文春オンラインのインタビューで、退団を決めた背景を詳しく説明しています。

大きな転機となったのは、2024年に父親を亡くした経験でした。父親の病気が分かったとき、吉田さんはカナダへの遠征中。競技シーズンの最中だったため、すぐに帰国してそばにいることができませんでした。

その経験から、競技を続けるために海外で過ごす時間が長くなるほど、大切な人の人生の節目に立ち会えない可能性があることを痛感したといいます。

結婚したことでカーリングへの情熱がなくなったわけではありません。実際、2022年の結婚発表後も北京五輪後の競技生活を続ける意欲を持っていました。

退団の決断には、家族との時間、自身の人生、競技者としての将来を総合的に考えた変化があったのです。

夫・河野恭介の言葉が決断を後押し

吉田さんの決断を支えたのが、河野さんの言葉でした。

河野さん自身も2018年に現役を退き、指導者へと転身しています。競技者としてのキャリアには終わりがあり、その時期は人それぞれ異なることを、身をもって経験していました。

吉田さんは、夫から次のような趣旨の言葉をかけられたことを明かしています。

「アスリートは、いつかは全員終わる。でも、そのいつかが違うだけだよ」

この言葉を受けて、自分にとっての「いつか」が今なのだと納得できたといいます。

夫婦で競技者と指導者という異なる立場を経験してきたからこそ、キャリアの転換点についても率直に話し合えたのでしょう。

退団後も現役続行!世界初のプロリーグROCK LEAGUEへ


ROCK LEAGUEとTYPHOON CURLING CLUB

プロ活動を継続
2026年4月から参戦
ロコ・ソラーレ退団後、海外選手との混成チームでプロリーグに挑戦。

吉田さんはロコ・ソラーレを退団した後も、カーリング選手としての活動を続けています。

2026年4月からは、カナダで開幕した世界初のプロカーリングリーグ「ROCK LEAGUE」に参戦。混成チーム「タイフーン」の主将として、新たな競技環境に身を置いています。

スポーツビズの公式プロフィールでも、現在のジャンルはプロカーラー、所属はTYPHOON CURLING CLUBと紹介されています。

また、2026年6月には自身の公式YouTubeチャンネルも開設。競技の普及や情報発信など、選手としての活動範囲を広げています。

2026年10月にはアナウンススクール通学も明かす

2026年10月17日には、吉田さんが自身のYouTubeチャンネルで、東京のアナウンススクール「テレビ朝日アスク」に3か月間通っていたことを明かしました。

7月に東京へ引っ越し、水曜日の夜にナレーションの基礎を学んでいたそうです。

通学の目的は、カーリング解説の仕事をより良くするため。生放送では言葉の選び方一つで選手を傷つける可能性があるため、話し方や声の使い方を専門的に学びたかったと説明しています。

2026年2月のミラノ・コルティナ冬季五輪でも解説を担当しており、競技経験を伝える側の仕事にも意欲を示しています。

ロコ・ソラーレ退団後の吉田さんは、競技者としてのキャリアを終えたのではなく、プロリーグへの参戦、解説、発信活動という複数の道を開拓している段階です。

【吉田知那美の結婚】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:吉田知那美の結婚相手は誰ですか?

A1:アルペンスキー元日本代表の河野恭介さんです。現役時代はワールドカップなどに出場し、引退後は指導者に転身。2026年から全日本スキー連盟のヘッドコーチを務めています。

Q2:吉田知那美の入籍日はいつですか?

A2:2022年7月26日です。吉田さんの31歳の誕生日と同じ日で、結婚をSNSで公表したのは翌27日でした。

Q3:吉田知那美と河野恭介の馴れ初めは?

A3:2018年平昌五輪の約1年前、ナショナルトレーニングセンターの講習会で出会いました。その後、偶然の再会を重ねて親しくなり、2021年夏に交際が始まりました。

Q4:羽田空港でプロポーズしたのはどちらですか?

A4:最初に結婚を切り出したのは吉田さんです。羽田空港の搭乗口で突然プロポーズし、約1か月後には河野さんも成田空港で花束を渡して改めてプロポーズしました。

Q5:2人は現在も多拠点婚を続けていますか?

A5:2026年11月時点でも、吉田さんは多拠点での夫婦生活を自分たちらしく楽しんでいると発信しています。ただし、2026年3月のロコ・ソラーレ退団後は生活環境が変化しており、現在の夫婦の具体的な居住スケジュールは公表されていません。

Q6:吉田知那美は結婚後にカーリングを引退したのですか?

A6:いいえ。2026年3月にロコ・ソラーレを退団しましたが、競技から引退したわけではありません。4月からプロカーラーとしてROCK LEAGUEに参戦し、競技活動を続けています。

吉田知那美さんの結婚相手は、アルペンスキー元日本代表で現在は指導者として活動する河野恭介さんです。2人は2017年ごろに出会い、2021年夏に交際を始め、2022年7月26日に入籍しました。

羽田空港で吉田さんが先に結婚を申し込み、成田空港では河野さんが花束を持って改めてプロポーズしたというエピソードは、2人の関係を象徴しています。

結婚後は、カナダとオーストリアを含む多拠点婚を選択。それぞれの仕事を大切にしながら、ビデオ通話や言葉でのコミュニケーションを重ねてきました。

2026年はロコ・ソラーレ退団という大きな転機を迎えましたが、吉田さんはプロカーラーとして現役を続行。夫婦としても結婚4周年を迎え、11月には連載30話目を通じて現在の暮らしを発信しています。

2人の結婚生活から見えてくるのは、同じ場所にいることだけが夫婦の形ではないということです。お互いの仕事や人生の選択を尊重し、必要なときには支え合う。吉田さんと河野さんは、競技者と指導者というそれぞれの道を歩みながら、自分たちらしい夫婦の形を築いています。

今後は、吉田さんのプロリーグでの挑戦や解説活動、河野さんのスキー指導者としての活躍とともに、2人がどのような生活スタイルを選んでいくのかにも注目が集まりそうです。

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