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【訃報】若嶋津六夫さんの現在は?2026年3月15日に肺炎で死去

光 直 光 直 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
目次

2026年11月現在

若嶋津六夫さんは、2026年3月15日午前、千葉県内の病院で肺炎のため亡くなりました。享年69歳でした。

日本相撲協会は翌16日に訃報を発表。元大関であり、元二所ノ関親方でもあった日高六男さんの死去は、相撲界だけでなく、芸能界や故郷の鹿児島県にも大きな衝撃を与えました。

スポーツニッポンの報道によると、亡くなったのは3月15日午前11時34分。妻の高田みづえさんは、夫への感謝の気持ちを語っています。

「親方には、ありがとうという気持ちです」

現役時代の活躍を知るファンにとっても、長年親方として相撲界を支えてきた姿を知る関係者にとっても、惜しまれる別れとなりました。

なお、2026年11月現在、若嶋津さんはすでに亡くなっています。現在の活動や親方としての在籍状況を調べる場合は、現役時代の情報と晩年の経歴を区別する必要があります。

また、2017年10月には千葉県船橋市内で倒れ、頭部の手術を受けたことが報じられていました。その後は療養生活を送っていましたが、今回の訃報で公表された直接の死因は肺炎です。2017年の転倒と2026年の死因を同一の出来事として扱うことはできません。

これらの経緯は、共同通信、日刊スポーツ、スポーツニッポンなどの報道でも伝えられています。

【経歴・実績】元大関・南海の黒豹と呼ばれた若嶋津の生涯

若島津の現在

若嶋津六夫さんは1957年1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町に生まれました。

本名は日高六男。種子島出身で、鹿児島商工高校(現在の樟南高校)では相撲部に所属しました。高校時代から相撲の実力を発揮し、1975年春場所で二子山部屋から初土俵を踏みます。

師匠は第45代横綱・初代若乃花。厳しい指導で知られた二子山部屋で力を磨き、着実に番付を上げていきました。

「南海の黒豹」という異名を生んだ取り口

若嶋津さんの特徴は、当時の大型力士とは異なる、俊敏でスピード感のある相撲でした。

浅黒い肌と引き締まった体つき、素早い動きから付けられた愛称が「南海の黒豹」です。

得意技は左四つ、上手投げ、吊り。相手の懐に入り、素早く有利な体勢を作る相撲が持ち味でした。

日本相撲協会の公式プロフィールによると、現役時代の主な記録は次のとおりです。




最高位

大関




幕内優勝

2回




生涯戦歴
515勝330敗21休


大関在位
28場所


三賞
5回


金星
2個


出典:日本相撲協会・歴代大関プロフィール

若嶋津六夫さんの経歴年表

初土俵から大関昇進、引退後の部屋創設、そして2026年の訃報までを時系列で整理します。

時期 出来事・実績 1957年1月 鹿児島県中種子町に誕生 1975年3月 二子山部屋から初土俵 1980年3月 新十両に昇進 1981年1月 新入幕を果たす 1983年1月 大関に昇進 1984年3月 春場所で14勝1敗、初優勝 1984年7月 名古屋場所で15戦全勝、2度目の優勝 1985年9月 高田みづえさんと結婚 1987年7月 現役引退、年寄・松ケ根を襲名 1990年2月 松ケ根部屋を創設 2014年12月 年寄・二所ノ関を襲名 2017年10月 転倒事故で頭部を手術。その後療養 2023年7月 日本相撲協会を退職 2026年3月15日 肺炎のため69歳で死去

特に1984年は、若嶋津さんの相撲人生を象徴する年です。春場所で14勝1敗の成績を残して初優勝すると、同年7月の名古屋場所では15戦全勝を達成しました。

2場所で2度の幕内優勝を果たした実績は、当時の大相撲ファンに強烈な印象を残しています。

また、通算成績515勝330敗21休という数字からも、長期間にわたり上位で戦い続けた実力がうかがえます。

【引退後の活動】松ケ根部屋から二所ノ関親方へ

1987年7月、若嶋津さんは現役を引退しました。引退後は年寄「松ケ根」を襲名し、二子山部屋で後進の指導にあたります。

その後、1990年2月に独立して松ケ根部屋を創設。現役力士から親方へと立場を変え、相撲界を支える側に回りました。

2014年に二所ノ関を襲名

大きな転換点となったのが2014年です。

同年4月には日本相撲協会の理事に就任。さらに12月1日には年寄名跡「二所ノ関」を襲名しました。これに伴い、松ケ根部屋も二所ノ関部屋へと名称が変更されました。

二所ノ関は相撲界の伝統ある名跡です。若嶋津さんがこの名跡を継いだことは、相撲界での存在感を示す出来事でもありました。

師匠としても実績を残しています。日刊スポーツの報道によると、小結松鳳山ら7人の関取を育てました。単に自身が強い力士だっただけでなく、次の世代を育てる指導者としても評価されていました。

2017年の転倒事故と2023年の退職

2017年10月19日、若嶋津さんは千葉県船橋市内で倒れ、頭部の手術を受けました。一時は意識不明の状態になったことも報じられています。

その後はリハビリ生活を続け、以前のように相撲協会の表舞台で活動する機会は限られていきました。

2021年12月には部屋の継承や年寄名跡をめぐる変更があり、若嶋津さんは2022年1月に協会の定年を迎えた後、参与として残りました。しかし、2023年7月21日付で日本相撲協会を退職しています。

したがって、2026年の訃報時点で現職の二所ノ関親方だったわけではありません。正確には、元大関・元二所ノ関親方という肩書きになります。

【家族・結婚】妻の高田みづえさんとの夫婦生活

若嶋津六夫さんの人生を語るうえで欠かせないのが、妻で元歌手の高田みづえさんです。

高田みづえさんは1970年代後半から1980年代にかけて活躍した人気歌手。若嶋津さんとの交際・婚約は、当時の芸能界と大相撲を結び付ける大きな話題となりました。

1985年に結婚、人気歌手から相撲部屋のおかみへ

2人は1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日に結婚しました。

当時、若嶋津さんは28歳、高田みづえさんは25歳。挙式・披露宴は東京のホテルニューオータニで行われ、テレビ朝日系列で披露宴が生中継されました。

日刊ゲンダイの当時を振り返る記事によると、披露宴のテレビ視聴率は30.2%を記録。招待客も約1,500人にのぼったと伝えられています。

高田さんは結婚を機に芸能界を引退し、相撲部屋のおかみとして若嶋津さんを支える道を選びました。

人気歌手から相撲部屋のおかみへという転身は、当時としても大きな注目を集めました。力士の妻として部屋の運営や弟子たちを支える役割を担い、長年にわたって相撲界と関わってきました。

夫の死去後、高田みづえさんはどうしている?

2026年3月15日の訃報では、高田みづえさんが夫の最期を見送ったことも報じられています。

スポーツニッポンによると、若嶋津さんは家族に見守られて亡くなり、高田さんは夫への感謝を語りました。

また、デイリースポーツは、高田さんが亡くなる朝まで若嶋津さんに意識があり、周囲に「ありがとう」「大丈夫」と伝えていたという内容を報じています。

1985年の結婚から2026年の別れまで、約40年半にわたる夫婦生活でした。

一方、高田みづえさん自身の今後の活動や日常生活について、訃報だけから具体的な予定を判断することはできません。夫の死去と、妻自身の芸能活動の再開などは別の話として捉える必要があります。

【キャプテン翼との関係】若島津健のモデルは元大関・若嶋津だった!


漫画・アニメ『キャプテン翼』の若島津健

元大関・若嶋津六夫

「若島津」という名前で検索すると、相撲とは別に『キャプテン翼』の若島津健が表示されることがあります。

これは偶然の名前の一致ではありません。実際に、漫画『キャプテン翼』の作者・高橋陽一さんが、若島津健のモデルについて説明しています。

作者・高橋陽一さんが明かしたモデルの関係

2026年3月16日、若嶋津さんの訃報を受けて、高橋陽一さんがコメントを寄せました。

日刊スポーツの報道によると、高橋さんは大相撲が好きで若嶋津さんのファンだったことを明かし、キャラクターのモデルにした経緯を語っています。

「大相撲も好きでファンだったので勝手に使わせてもらいました」

高橋さんは、若嶋津さんの細身でスタイリッシュな姿がかっこいいと感じ、キャラクターのイメージに取り入れたと説明しています。

つまり、漫画の若島津健は、元大関・若嶋津六夫さんの現役時代の姿に影響を受けて生まれたキャラクターです。

若島津健と若嶋津六夫の違い
比較項目 若嶋津六夫 若島津健 人物の種類 実在の力士 漫画の登場人物 関連作品・競技 大相撲 『キャプテン翼』・サッカー 作者・関係者 相撲界の人物 作者は高橋陽一さん 特徴 俊敏な取り口の大関 空手を生かしたゴールキーパー 関係性 若島津健のモデルとなった実在人物

なお、両者の表記にも違いがあります。

  • 実在の元大関:若嶋津六夫(若島津と表記された時期もある)
  • 漫画のキャラクター:若島津健

検索時には「嶋」と「島」の違いにも注意すると、目的の人物を見つけやすくなります。

また、高橋陽一さんと若嶋津さんに個人的な親交があったわけではなく、作者が現役時代の姿に魅力を感じてモデルにしたという関係です。

【プロの結論】若嶋津六夫さんが相撲界に残したものとは?

若嶋津さんの生涯を振り返ると、評価すべき点は幕内優勝2回という競技成績だけではありません。

その功績は、大きく3つに整理できます。

1. スピードと技術を生かした大関像

若嶋津さんは、体格の大きさだけで勝負するのではなく、俊敏さと技術で相手を攻略する力士でした。

「南海の黒豹」という愛称が示すように、その取り口は観客に強い印象を残しました。1984年の2度の優勝は、その実力を数字で証明したものです。

2. 親方として次世代の力士を育てたこと

引退後は松ケ根部屋を創設し、長年にわたって後進の指導に取り組みました。

小結松鳳山ら7人の関取を育てた実績は、現役時代とは異なる形で相撲界に貢献した証しです。

3. 相撲と芸能・漫画文化をつないだ存在

高田みづえさんとの結婚は、スポーツと芸能の垣根を越えた大きな話題になりました。

さらに『キャプテン翼』の若島津健のモデルになったことから、相撲をあまり知らない世代にも、その名前や存在が伝わっています。

実在の力士の姿が漫画のキャラクターに影響を与え、作品を通じて長く記憶されるという点も、若嶋津さんならではの足跡です。

【若島津の現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:若嶋津六夫さんは現在も生きていますか?

A1:いいえ。2026年3月15日に69歳で亡くなりました。日本相撲協会は翌16日に死去を発表しています。

Q2:若嶋津六夫さんの死因は何ですか?肺炎だったのでしょうか?

A2:死因は肺炎です。千葉県内の病院で亡くなりました。2017年10月には転倒して頭部の手術を受けていましたが、2026年の訃報で公表された死因は肺炎です。

Q3:若嶋津六夫さんの妻は高田みづえさんですか?

A3:はい。1985年9月27日に結婚しました。高田さんは結婚を機に芸能界を引退し、相撲部屋のおかみとして夫を支えました。

Q4:キャプテン翼の若島津健は若嶋津六夫さんがモデルですか?

A4:はい。作者の高橋陽一さんが2026年3月16日の取材で、若嶋津さんのファンだったことと、キャラクターのモデルにしたことを明かしています。

元大関・若嶋津六夫さんは、2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなりました。

1975年の初土俵から1983年の大関昇進、1984年の2度の幕内優勝、1987年の引退、そして松ケ根部屋・二所ノ関部屋の師匠としての活動まで、その歩みは大相撲の歴史に刻まれています。

妻の高田みづえさんとの結婚や、『キャプテン翼』の若島津健のモデルになったという意外なつながりも、若嶋津さんの人生を語るうえで欠かせないエピソードです。

現在を知りたいという検索への答えは、すでに亡くなっているということです。しかし、「南海の黒豹」として土俵を沸かせた姿や、後進を育てた親方としての功績は、これからも相撲ファンや多くの人々の記憶に残り続けるでしょう。

69年の生涯を通じて相撲界に残した功績は、優勝回数だけでは測れないものがあります。

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