2人の出会いは、1970年代のテレビドラマの撮影現場だった。
樹木希林は当時、悠木千帆の芸名で女優として活動していた。内田裕也はロックミュージシャンとして独自の存在感を放っていた。
朝日新聞のインタビューで樹木希林が振り返ったところによると、ドラマ『時間ですよ』の撮影現場に、ザ・スパイダースのメンバーだったかまやつひろしが遊びに来た際、内田裕也も一緒にいたという。
最初から運命的な出会いだったというより、芸能界の知人を介した自然な交流だった。
交際から結婚までのスピードが異例だった内田裕也側の過去のインタビューを紹介した週刊女性の記事によると、2人は六本木の寿司店で食事をしたことをきっかけに、結婚を意識するようになった。
交際から結婚までの展開は早く、1973年10月に結婚。当時、樹木希林は30歳、内田裕也は33歳だった。
2人の結婚が注目された背景には、芸能界でも対照的な個性を持つ人物同士だったことがある。
- 樹木希林:独特の観察眼と演技力を持つ個性派女優
- 内田裕也:既存の価値観に縛られないロックミュージシャン
夫婦としての生活が始まってからも、それぞれの仕事や生き方を簡単に変えることはなかった。
週刊女性が紹介した1974年の内田裕也の発言からも、ロックミュージシャンと女優では仕事の仕組みが違い、家庭で常に一緒に過ごすことを望んでいなかった様子がうかがえる。
【別居43年の理由】なぜ離婚せず夫婦であり続けたのか
2人の結婚生活を理解するうえで、最も重要なのが別居の理由だ。
一般的な夫婦であれば、長期間の別居は関係の破綻や離婚につながることも多い。しかし、内田裕也と樹木希林の場合は違った。
理由1:お互いの生き方を無理に変えなかった樹木希林は朝日新聞のインタビューで、内田との生活について率直に語っている。
一緒に暮らした期間は実質3カ月にも満たず、長年別居していても、それが必ずしも不幸ではなかったという考え方だった。
加えて、内田裕也の存在を自分にとっての「重し」と表現している。
この言葉は興味深い。
夫婦として毎日同じ家で暮らすことが、必ずしも2人にとって最良の形ではなかった。離れているからこそ、それぞれの生活を守りながら、夫婦という関係を維持できた側面があったと考えられる。
樹木は、夫がどのような生活を送っていても、細かく干渉しない姿勢を示していた。もちろん、それは夫婦間に問題がなかったという意味ではない。
理由2:内田裕也も結婚を簡単に終わらせるつもりはなかった内田裕也自身も、結婚に対する独特の考えを持っていた。
1974年のインタビューでは、結婚を一度しかしないという決意や、夫婦であっても常に一緒にいる必要はないという考えを語っていた。
つまり、内田にとっても、別居と離婚は必ずしも同じ意味ではなかった。
2人の間には生活習慣や価値観の違いがあり、衝突もあった。しかし、結婚という関係そのものを捨てることには、別の意味があったようだ。
理由3:離れていても続いていた夫婦間の交流2人は別居後も完全に交流を断っていたわけではない。
- 家族で集まる機会があった
- 一緒に旅行したこともあった
- 誕生日などに手紙やFAXを送り合っていた
- 2011年には夫婦で結婚情報誌のCMに出演した
特に2011年のリクルートの結婚情報誌「ゼクシィ」のCMは印象的だった。
結婚39年目にして初めての夫婦共演。樹木希林が結婚のよさを尋ねると、内田裕也が「ロックンロール!」と答える内容だった。
約40年の別居を経ても、2人は夫婦として公の場に登場できたのである。
理由4:樹木希林にとって夫は理解し合える特別な存在だった2013年、樹木希林は内田裕也から「別れなくてよかった」と言われたことを明かしている。
長期間別居していたにもかかわらず、2人の間には他人には理解しにくい距離感と信頼関係が残っていた。
ただし、ここで注意したいのは、2人が理想的な夫婦だったと単純化できないことだ。
娘の也哉子は、両親が一緒にいると衝突することも多く、家族で集まることに緊張を感じていたと後年振り返っている。
つまり、別居は夫婦の問題をすべて解決したわけではない。それでも、同居を続けることだけが家族の正解ではないという、2人独自の関係が成立していた。
【年表】1973年の結婚から2019年の死去までを時系列で整理
内田裕也と樹木希林の関係を理解するには、結婚、別居、離婚騒動、家族との交流、そして最期までを時系列で見ることが重要だ。
主な報道資料:スポニチ、日刊スポーツ、シネマトゥデイ、テレビ朝日など。
この年表から分かるのは、2人の関係が別居開始後も完全に途切れたわけではなかったことだ。
1981年の離婚騒動を経ても婚姻関係を維持し、2011年には夫婦でCMに出演。2018年には樹木希林の葬儀で、内田裕也が喪主を務めた。
単純な別居婚という言葉だけでは説明しきれない歴史がある。
【離婚届と離婚無効訴訟】1981年に何が起きたのか
2人の夫婦関係を大きく揺るがした出来事が、1981年の離婚騒動だった。
内田裕也が一方的に離婚届を提出報道によると、内田裕也は1981年、樹木希林の同意を得ないまま離婚届を提出した。
すでに別居生活を送っていた2人だったが、内田は婚姻関係を終わらせようとしたのである。
ところが、樹木希林はこの離婚を認めなかった。
問題になったのは、夫婦双方の合意がないまま提出された離婚届によって、法的に離婚が成立するのかという点だった。
樹木希林が東京地裁に提訴樹木希林は離婚無効を主張し、東京地方裁判所に訴えを起こした。
裁判では、離婚届が夫婦双方の意思に基づくものだったかが争点となった。
その結果、離婚無効の判決が下され、2人の婚姻関係は継続することになった。
日刊スポーツの2018年の報道でも、この一連の経緯が樹木希林の波瀾万丈な人生を象徴する出来事として紹介されている。
なぜ樹木希林は離婚を認めなかったのかここは非常に興味深い部分だ。
離婚を拒否したからといって、樹木希林が内田裕也との同居再開を強く望んでいたとは限らない。
実際、朝日新聞のインタビューでは、長年別居していたことを前提に、離婚しても構わないという趣旨の発言もしている。
一方で、夫の存在が自分にとって意味を持っていたことも語っている。
つまり、彼女が守ろうとしたものは、一般的な夫婦像や同居生活だけではなかったと考えられる。
離婚を無効にしたことと、夫婦として同じ生活を送ることは、彼女の中では別の問題だった。
この点が、2人の関係を理解するうえで見落とせないポイントだ。
【内田也哉子の証言】父から母への手紙が明かした夫婦関係の真相
内田裕也と樹木希林の夫婦関係を考えるうえで、欠かせない存在が長女の内田也哉子だ。
1976年2月11日生まれの也哉子は、両親が別居している家庭で育った。
母は女優として働き、父は家に帰らないことが多かった。也哉子にとって、両親の関係は理解しにくいものだった。
母に父との関係を問いただした娘2018年9月30日、樹木希林の葬儀・告別式が東京・港区の光林寺で営まれた。
内田裕也が喪主を務めたものの、体調面の事情もあり、長女の也哉子が最後のあいさつを担当した。
そこで語られたのが、母に対する過去の疑問だった。
也哉子は、なぜ父と別れず夫婦であり続けるのか、なぜ母は父を大切にするのかと問いかけたことがあったという。
その際、樹木希林が返した言葉が印象的だった。
「だってお父さんにはひとかけらの純なものがあるから」
シネマトゥデイが伝えた也哉子のあいさつによると、母は父の悪口をほとんど口にせず、父の中にある純粋さを見つめていたという。
1974年10月19日付のラブレター加えて、告別式で明らかになったのが、内田裕也から樹木希林に送られた手紙の存在だった。
手紙は1974年10月19日付。結婚から約1年後、ロンドンから送られたものだった。
内容には、自分の夢やギャンブルによって妻に負担をかけていることへの自覚が記されていた。そして最後には、愛情を伝える言葉が添えられていた。
この手紙は、樹木希林の書庫に大切に保管されていたという。
也哉子は、父から母に向けられた感謝や親密な思いを初めて知り、それまで抱えていた両親へのわだかまりが解けていったと語った。
2024年のインタビューで明かされた両親の意外な一面2024年、也哉子は著書『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』に関連するインタビューで、亡き両親について改めて語っている。
注目されたのは、母が父の誕生日に送ったFAXを、父が大切に保管していたというエピソードだ。
母の遺品からは父が外国から送った手紙やはがきが見つかり、父の遺品からは母からの便りが見つかった。
生前は一緒にいると口論になることも多かった2人。しかし、離れて暮らす中で、互いの手紙やFAXを捨てずに残していた。
也哉子は、同じ時代の芸能界を生き抜いた2人だからこそ、ほかの人には理解できない共感があったのではないかと振り返っている。
この証言は、夫婦関係の真相を考えるうえで重要だ。
表面的には別々の生活を送っていても、互いの存在を意識し続けていたことが、遺品という具体的な形で残されていたのである。
【2018年・2019年の最期】2人はどこで眠っている?内田家の家族関係も整理
樹木希林は2018年9月15日に75歳で死去樹木希林は2018年9月15日、東京都内の自宅で亡くなった。
享年75歳。長年にわたるがんとの闘病を続けながら、映画やテレビなどで精力的に活動していた。
代表的な出演映画には、次の作品がある。
- 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
- 『わが母の記』
- 『あん』
- 『万引き家族』
- 『日日是好日』
- 『モリのいる場所』
特に晩年の出演作でも存在感を発揮し、俳優として高い評価を受けていた。
夫の内田裕也は、妻の死後に追悼コメントを発表した。
その中では、長年連れ添った妻への感謝と尊敬を表し、最後をねぎらう言葉を送っている。
内田裕也は2019年3月17日に79歳で死去樹木希林の死から約半年後、内田裕也も亡くなった。
2019年3月17日午前5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去。79歳だった。
所属事務所は公式コメントで、内田が闘病の日々を送りながらも、ユーモアやウィットを忘れず、最後までロックンロール人生を全うしたことを伝えた。
妻の葬儀では車いすで参列し、火葬にも立ち会った。
本木雅弘は、内田が樹木希林の遺骨から顎の骨を拾い、ハンカチに包んでポケットにしまったことを明かしている。
長年別居していた2人の最期を象徴する出来事として、大きく報道された。
内田裕也と樹木希林の墓はどこ?樹木希林は東京都港区南麻布の光林寺にある内田家の墓に納められた。
この場所は、樹木希林自身が終活の中で選んだ場所として報じられている。
生前、樹木希林は、長年別居してきた夫との関係について、死後は一緒に暮らすという趣旨の言葉を残していた。
2019年の内田裕也の死去後には、同じ内田家の墓に入ることが報じられた。
生前は約43年間にわたって別々に暮らした夫婦が、死後には同じ墓で眠ることになったのである。
内田家の家族関係を整理2人の家族関係は次のようになっている。
内田裕也
1939〜2019・ロック歌手、俳優
樹木希林
1943〜2018・女優
長女:内田也哉子
1976年生まれ・文章家、エッセイスト
夫:本木雅弘
俳優
子ども3人
UTA・伽羅・玄兎
2025年4月には、テレビ朝日系『プラチナファミリー』で内田家の家族関係が紹介された。
也哉子と本木雅弘、孫のUTA、伽羅、玄兎らが登場し、両親との思い出を振り返った。
番組では、内田裕也と樹木希林の遺影が自宅の同じ部屋に置かれながら、約1メートル離れていることも話題になった。
也哉子は、生前に一緒に過ごす時間が少なかった2人の写真を、急に隣り合わせにするのは不自然に感じるという趣旨の説明をしている。
この距離感にも、内田家が長年築いてきた独特の家族関係が表れている。
【プロの結論】内田裕也と樹木希林の夫婦関係から分かる3つのこと
2人の人生を振り返ると、単なる芸能人夫婦の珍しいエピソードでは片付けられないものが見えてくる。
1. 別居と愛情は必ずしも相反しない2人は長年同居しなかったが、手紙やFAXを送り合い、相手の存在を意識し続けていた。
同居していることだけが愛情の証明ではないという考え方を示している。
ただし、これは2人が選んだ特殊な関係であり、すべての夫婦に当てはまるものではない。
2. 法律上の夫婦関係と実際の生活は別の問題1981年の離婚無効訴訟は、法律上の婚姻関係と日常生活の実態が必ずしも一致しないことを示している。
2人は法律上の夫婦であり続けたが、日常生活では長期間別々に暮らした。
婚姻関係を維持する理由も、同居を続ける理由も、夫婦ごとに異なるということだ。
3. 家族の関係は当事者だけでなく子どもの視点からも見えてくる也哉子は幼少期から両親の関係に葛藤を抱えていた。
しかし、母の遺品から見つかった父の手紙や、父の遺品に残されていた母のFAXを通じて、両親の知らなかった一面を知ることになった。
このエピソードは、家族の関係が当事者以外には見えない部分を持つことを教えてくれる。
長年の別居だけを見て、2人の関係を不仲だったと断定することはできない。
【内田裕也と樹木希林】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:内田裕也と樹木希林は何年に結婚しましたか?
A1:1973年10月です。結婚後まもなく別居生活に入り、2018年に樹木希林が亡くなるまで婚姻関係が続きました。
Q2:内田裕也と樹木希林が別居した理由は何ですか?
A2:仕事や生活スタイル、価値観の違いが背景にありました。内田裕也自身もロックと俳優では仕事の仕組みが異なることを語っており、樹木希林も別居を必ずしも不幸とは捉えていませんでした。
Q3:内田裕也が提出した離婚届はどうなりましたか?
A3:1981年に提出された離婚届について、樹木希林が東京地裁に離婚無効を求めて提訴し、離婚無効の判決が下りました。
Q4:内田裕也と樹木希林の子どもは誰ですか?
A4:長女の内田也哉子です。也哉子は俳優の本木雅弘と結婚し、UTA、伽羅、玄兎の3人の子どもがいます。
Q5:樹木希林が内田裕也との離婚を拒否した理由は何ですか?
A5:樹木希林は、内田裕也の中に純粋な部分があると考えていました。また、夫の存在が自分にとって意味を持つことも語っています。ただし、本人が離婚拒否の理由を一つに限定して説明したわけではありません。
Q6:内田裕也と樹木希林は現在、同じ墓に入っていますか?
A6:2人は東京都港区南麻布の光林寺にある内田家の墓に関係する形で埋葬されています。樹木希林は2018年、内田裕也は2019年に亡くなりました。
Q7:2026年現在、内田裕也と樹木希林はどうなっていますか?
A7:2人ともすでに亡くなっています。樹木希林は2018年9月15日、内田裕也は2019年3月17日に死去しました。2026年現在は、娘の内田也哉子ら家族による証言や、2人が残した作品・手紙を通じて、その人生と夫婦関係が振り返られています。
内田裕也と樹木希林は、1973年に結婚し、1981年には離婚届をめぐる裁判を経験した。それでも、2018年に樹木希林が亡くなるまで夫婦関係を維持した。
その背景には、お互いの生き方を無理に変えず、距離を保ちながら相手の存在を認めるという、2人独自の関係があった。
そして、2018年の告別式で明かされた手紙や、2024年の内田也哉子の証言によって、長年の別居だけでは見えなかった夫婦の姿が明らかになった。
43年間の別居は、43年間の無関心を意味していたわけではない。
一緒に暮らすことはできなくても、相手の存在を心のどこかで大切にし続ける。内田裕也と樹木希林の結婚生活は、夫婦という関係の形が一つではないことを、今も静かに伝えている。