基本情報は東京六大学野球公式記録室などの選手資料に基づく
清宮福太郎さんは、2003年7月3日生まれ、東京都出身の元大学野球選手です。2026年11月現在は23歳。北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手より4学年下の弟にあたります。
東京六大学野球公式記録室に掲載されている在籍時のプロフィールでは、身長182cm、体重98kg、右投げ右打ち。早稲田大学では社会科学部に所属し、外野手としてプレーしていました。
清宮福太郎さんのプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 清宮福太郎 |
| 読み方 | きよみや・ふくたろう |
| 生年月日 | 2003年7月3日 |
| 2026年11月時点の年齢 | 23歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長 | 182cm |
| 体重 | 98kg(在籍時資料) |
| 投打 | 右投げ右打ち |
| ポジション | 外野手 |
| 出身高校 | 早稲田実業学校 |
| 大学 | 早稲田大学社会科学部 |
| 大学入学 | 2022年 |
| 卒業後の進路 | 大手広告会社への就職予定と報道 |
出典:東京六大学野球公式記録室、早稲田スポーツ新聞会、日刊スポーツ。
特に注目したいのは、福太郎さんが単に兄の後を追っていたわけではない点です。
本人は早稲田大学野球部の新入部員紹介で、兄のリトルリーグ世界大会を見たことが野球を続けるきっかけになったと振り返っています。
兄のプレーを見て、同じ舞台に立ちたいと考えたことが、福太郎さんの野球人生の出発点でした。
【野球経歴】早稲田実業時代から早稲田大学までの歩み
福太郎さんが野球に再び興味を持ったのは、小学2年生のころです。
当初は小学1年生で野球を始めたものの、一度競技から離れていました。しかし、兄の幸太郎さんがリトルリーグの世界大会で活躍する姿を見て、野球への思いが強くなります。
Number Webのインタビューによると、福太郎さんは兄の世界大会を観戦するためにアメリカへ同行。その経験に刺激を受け、小学3年生から野球を再開しました。
その後、兄と同じ東京北砂リトル、調布シニアを経て、早稲田実業へ進学しています。
早稲田実業では主将を経験2019年、福太郎さんは早稲田実業高等部に進学しました。
兄の幸太郎さんが早実で圧倒的な実績を残したこともあり、弟のプレーにも注目が集まりました。
しかし、福太郎さんの高校生活は決して順風満帆ではありませんでした。
- 2019年:早稲田実業高等部に入学
- 2020年:新型コロナウイルスの影響で練習や大会が制限される
- 2021年:主将を務め、最後の夏の西東京大会に挑戦
- 最終結果:5回戦で國學院久我山に敗れ、ベスト16
Number Webの2021年の記事では、3年夏の福太郎さんは3番・左翼手としてチームを率いたことが紹介されています。
また、2025年の週刊ベースボールの取材では、早実時代の高校通算本塁打は20本と報じられています。これは練習試合を含めた数字です。
兄の幸太郎さんは高校通算111本塁打という突出した数字を残しましたが、福太郎さんは異なる環境と時代の制約の中で高校野球を経験しました。
甲子園出場という目標には届かなかったものの、主将としてチームをまとめた経験は、その後の大学野球にもつながっていきます。
2022年に早稲田大学へ進学2022年、福太郎さんは早稲田実業から内部推薦で早稲田大学社会科学部へ進学しました。
早稲田大学野球部の公式ブログに掲載された新入部員紹介では、本人が社会科学部1年生として自己紹介しています。
大学でも野球を続けることを選んだ理由には、幼いころから憧れていた早慶戦の舞台に立ちたいという思いがありました。
ただし、大学野球では高校時代以上に厳しい競争が待っていました。
2023年の日刊スポーツの報道によると、福太郎さんは大学1年時に右肘のクリーニング手術を受け、リハビリを経験。2年生になってから、フレッシュトーナメントで神宮球場の公式戦デビューを果たしました。
その初打席は空振り三振。本人も悔しさをにじませていました。
加えて、東京六大学野球のリーグ戦では3年生までベンチ入りできず、試合出場の機会を得られない時期が続きました。
4年生になった2025年春、ようやく初めてベンチ入りを果たします。兄と同じ背番号21を背負い、代打としてリーグ戦に出場するようになりました。
【経歴年表】清宮福太郎の野球人生と主な転換点
福太郎さんの野球経歴を、家族との関係や進路の変化も含めて整理しました。
出典:早稲田大学野球部、東京六大学野球公式記録室、Number Web、週刊ベースボール、日刊スポーツ。
この年表から分かるのは、福太郎さんの野球人生が、兄のように早い段階から華々しい結果を残す道ではなかったことです。
大学では長い間、試合に出られない時期を経験しました。それでも4年生の最後まで野球を続け、最後の早慶戦で初安打を記録しています。
【早慶戦】2025年11月2日のリーグ戦初安打と涙の引退
清宮福太郎さんの大学野球人生を語るうえで欠かせないのが、2025年11月2日の秋季早慶戦です。
この日は、福太郎さんにとって大学野球の最後の試合でした。
6打席目で生まれた待望の初ヒット東京六大学野球秋季リーグ戦の最終週第2日、早稲田大学は慶應義塾大学と対戦しました。
試合は早稲田大学が3対0でリード。8回裏、2死の場面で代打として清宮福太郎さんが打席に立ちます。
それまでリーグ戦では5打数無安打。これが6打席目でした。
福太郎さんは初球を打ち、右翼前に運ぶヒットを記録します。
ジャストミートとはいかなかったものの、打球は確実に安打となりました。
東京六大学野球公式記録室の記録でも、2025年11月2日の慶應義塾大学戦は1打数1安打と記載されています。
ベンチで涙を流したチームメートこの場面で印象的だったのは、安打そのものだけではありません。
一塁に到達した福太郎さんは、その後代走を送られ、ベンチへ戻ります。
そこでは、同期のチームメートたちが涙を流して喜んでいました。
日刊スポーツの取材に対して、福太郎さんは仲間が泣いてくれたことがうれしかったと振り返っています。
早稲田大学野球部の公式ブログでも、この初安打の場面が詳しく紹介されました。
それまで5打数無安打だった福太郎さんを、同期の選手たちが応援し続けていたことが伝わるエピソードです。
兄・幸太郎も弟の初安打を祝福この試合後には、兄の清宮幸太郎選手も弟の活躍を祝福しました。
2025年11月3日付のデイリースポーツなどによると、幸太郎選手は自身のInstagramで福太郎さんの初安打を喜び、幼少期の兄弟写真とともにメッセージを投稿しています。
兄がプロ野球選手として活躍する一方、弟は大学野球の最後の試合で初安打を記録する。
同じ野球を続けながらも、異なる道を歩んできた2人にとって、象徴的な出来事となりました。
参考:2025年11月2日の日刊スポーツ、早稲田大学野球部公式ブログ、デイリースポーツ
【兄弟関係と父親】清宮幸太郎・福太郎・克幸の家族関係
清宮家は、野球とラグビーという異なる競技で知られるスポーツ一家です。
兄弟それぞれの活躍を理解するためには、父親である清宮克幸さんの経歴も押さえておきたいところです。
兄・清宮幸太郎は日本ハムのプロ野球選手兄の清宮幸太郎選手は1999年5月25日生まれ。早稲田実業高校から2017年のドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団しました。
高校時代には高校通算111本塁打を記録したことで知られています。
福太郎さんとは4学年違いで、兄が先に野球界で大きな注目を集めていました。
父・清宮克幸はラグビー界の指導者父親の清宮克幸さんは、ラグビー界で選手・監督として実績を残した人物です。
早稲田大学ラグビー部では主将を務め、社会人ではサントリーでプレー。その後、早稲田大学、サントリー、ヤマハ発動機などで監督を歴任しました。
Number Webの2025年12月の取材記事では、日本ラグビー協会副会長を務める人物として紹介されています。
興味深いのは、福太郎さんが幼いころ、野球だけでなくラグビーにも親しんでいたことです。
本人のインタビューによれば、幼稚園のころからラグビーに触れ、父親の試合も家族で観戦していました。
しかし、最終的にはラグビーではなく野球を選択。父親の競技とは別の道を進みました。
兄弟の関係は良好?比較されることへの本人の考え清宮幸太郎選手の弟という立場は、福太郎さんにとって常に注目される要素でした。
兄が高校時代に大きな結果を残し、プロ入り後も活躍していたため、同じ野球をする福太郎さんが比較されるのは避けられない状況でした。
ただし、2025年12月のNumber Webのインタビューでは、福太郎さん自身が兄との比較をつらいと思ったことはないと語っています。
むしろ、兄がいたからこそ経験できたことや、注目してもらえたことに感謝しているという趣旨の発言をしています。
ここから見えてくるのは、兄をライバルとして否定するのではなく、自分の人生の一部として受け入れてきた姿です。
また、父親と母親についても、進路を決める際に本人の選択を尊重してくれたと話しています。
家族が同じ競技で同じ結果を求めるのではなく、それぞれの意思を大切にしてきたことがうかがえます。
【2026年最新】清宮福太郎の現在は?大手広告会社への就職と今後
2026年現在、福太郎さんの大きな転換点は大学野球から一般企業への進路変更です。
2026年2月19日付の日刊スポーツは、清宮福太郎さんが大学卒業後に大手広告会社へ進む予定だと報じました。
これにより、プロ野球選手や社会人野球選手として競技を続けるのではなく、広告業界で新しいキャリアを築く方向が明らかになりました。
なぜ広告会社を選んだのか福太郎さんが広告業界を志した背景には、2019年のラグビーワールドカップがあります。
父親がラグビー界で活躍していたこともあり、福太郎さんにとってラグビーは身近なスポーツでした。
2019年の日本開催大会をきっかけに、それまでラグビーに関心がなかった人々まで試合を見たり、選手の名前を知ったりするようになったことが印象に残ったといいます。
その経験から、広告やイベントを通じて人々の興味を広げる仕事に魅力を感じたそうです。
日刊スポーツのインタビューでは、福太郎さんが目指す仕事について、次のように紹介されています。
自分が関わった仕事で「ブーム」を起こすこと。
スポーツだけに限らず、新しい競技やコンテンツに人々が関心を持つきっかけをつくりたいという考えです。
大手広告会社の企業名は公表されている?気になるのは、具体的にどこの広告会社に就職するのかという点です。
日刊スポーツの2026年2月の記事では、内定先について大手企業と説明されていますが、企業名は明らかにされていません。
したがって、特定の広告会社の名前を挙げて就職先と断定することはできません。
また、2026年11月現在、公開情報で確認できる範囲では、勤務先の正式名称や担当業務についての追加情報は明らかになっていません。
確認できるのは、大手広告会社への就職予定が2026年2月に報じられたという事実です。
野球は完全に引退した?今後もプレーする可能性は?福太郎さんは、2025年秋の早慶戦を最後に、本格的な競技野球から引退しました。
ただし、野球そのものを完全にやめるという意味ではありません。
2026年2月の日刊スポーツの記事では、草野球をする予定があることも紹介されています。
つまり、今後も趣味として野球に触れる可能性はありますが、大学卒業後に社会人野球やプロ野球へ進む予定ではありません。
大学での4年間を終え、新しい仕事に挑戦するという選択は、福太郎さん自身が考え抜いた進路でした。
【プロの結論】清宮福太郎の経歴から見える本当の魅力
清宮福太郎さんの野球人生を振り返ると、兄のような華々しい記録を残すことだけが目標ではなかったと分かります。
早実では主将を経験し、大学ではケガや出場機会の少なさに苦しみました。3年生の段階で野球を大学までと決め、就職活動も視野に入れながら最後のシーズンに臨みました。
そして、最後の早慶戦でリーグ戦初安打を記録します。
ここに福太郎さんの歩みを理解するうえでの要点があります。
スポーツ選手の価値は、記録や順位だけで決まるものではありません。
本人がどのような目標を持ち、どのような壁にぶつかり、それをどう乗り越えたかも、その人のキャリアを形づくる要素です。
福太郎さんの場合、最後の安打は個人の記録であると同時に、仲間とともに過ごした4年間の象徴でもありました。
また、広告業界への進路も野球人生と無関係ではありません。スポーツを通じて人々の関心や行動が変わる経験を、今度は仕事を通じて生み出したいという考えにつながっています。
【清宮幸太郎の弟】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:清宮幸太郎の弟の名前は何ですか?
清宮福太郎(きよみや・ふくたろう)さんです。2003年7月3日生まれで、早稲田実業から早稲田大学へ進学しました。
Q2:清宮福太郎は早稲田大学の野球部に所属していましたか?
はい。早稲田大学社会科学部に所属し、野球部で外野手としてプレーしました。2025年春に初めてリーグ戦でベンチ入りし、同年11月2日の早慶戦でリーグ戦初安打を記録しています。
Q3:清宮福太郎は2025年の早慶戦で何を達成しましたか?
2025年11月2日の慶應義塾大学戦で、リーグ戦6打席目にして初安打を記録しました。大学野球最後の試合での記念すべき一打でした。
Q4:清宮福太郎は2026年現在、何をしていますか?
2026年2月の日刊スポーツの報道では、大学卒業後に大手広告会社へ入社する予定とされています。具体的な企業名や現在の担当業務は公表されていません。
Q5:清宮福太郎は野球を引退したのですか?
はい。2025年秋の早慶戦を最後に、本格的な競技野球から引退しました。ただし、草野球をする予定はあると報じられています。
Q6:清宮福太郎の父親は誰ですか?
父親は清宮克幸さんです。早稲田大学ラグビー部の元主将で、早稲田大学やサントリー、ヤマハ発動機などで監督を務めたラグビー界の著名な指導者です。
Q7:清宮幸太郎と福太郎の兄弟仲は良いですか?
報道で紹介された兄弟の交流からは、良好な関係がうかがえます。2025年11月の福太郎さんのリーグ戦初安打に対して、幸太郎選手もSNSで祝福のメッセージを送っています。
清宮幸太郎選手の弟・清宮福太郎さんは、早稲田実業から早稲田大学へ進み、大学野球に4年間取り組んできた人物です。
2025年11月2日の早慶戦では、最後の試合でリーグ戦初安打を達成。チームメートや兄から祝福されながら、競技生活に一区切りをつけました。
2026年は大学卒業後の進路として大手広告会社への就職予定が報じられています。
今回の経歴で押さえておきたい要点は次の3つです。
- 人物像: 清宮幸太郎選手の4学年下の弟で、早実・早大で野球を経験。
- 野球人生の転換点: 2025年の最後の早慶戦でリーグ戦初安打を達成し、競技生活を終えた。
- 2026年の進路: 大手広告会社へ進む予定で、広告を通じて新しいブームや価値観を生み出す仕事を目指している。
兄がプロ野球の世界で活躍する一方、福太郎さんは自分で選んだ社会人としての道を歩み始めました。
「清宮幸太郎の弟」という肩書だけでは語りきれない、福太郎さん自身の経験と挑戦。その新しいキャリアにも注目が集まりそうです。
主な参考資料:早稲田大学野球部公式ブログ、東京六大学野球公式記録室、早稲田スポーツ新聞会、Number Web、週刊ベースボール、日刊スポーツ、デイリースポーツ。