2026年11月現在、志穂美悦子さんは71歳。かつて日本初の本格的なアクション女優として映画・ドラマ界を席巻した彼女は、現在、フラワーアーティスト(花創作家)として活動する一方、2024年からは「鬼無里まり(きなさ・まり)」の名義でシャンソン歌手としても新たな道を歩んでいます。
長渕剛さんとの結婚を機に芸能界を引退した志穂美悦子さんですが、その後の人生は決して表舞台から離れたままではありません。花の創作活動、復興支援、音楽活動、そして長年培ってきた身体能力を生かしたトレーニングなど、71歳を迎えた現在も精力的です。2025年には夫婦の別居報道もあり、現在の夫婦関係に関心を持つ人も少なくありません。2026年の最新活動から、結婚の経緯、子どもたち、女優時代まで詳しく整理します。
【2026年最新】志穂美悦子の現在は71歳!今何をしている?
志穂美悦子さんは、1955年10月29日生まれ、岡山県出身です。2026年11月2日時点で71歳。現在は女優業を中心とした活動ではなく、花創作家とシャンソン歌手という2つの表現分野を軸に活動しています。
近年の活動を確認すると、単なる芸能界への復帰ではなく、長年温めてきた趣味や表現への思いを、仕事として本格的に展開していることが分かります。
現在の主な活動は花創作とシャンソン現在の志穂美さんの活動は、大きく分けて次の3つです。
- 花創作家:フラワーアートの制作、展示、フラワーアレンジメントのワークショップ。
- シャンソン歌手:鬼無里まり名義でのコンサート、音楽フェスティバル、ソロライブへの出演。
- 講演・文化活動:自身の人生経験や挑戦について語る講演会、文化講座など。
2026年には、2月の「世界らん展2026-花と緑の祭典」への作品展示、3月のソロライブ、NHK文化センター青山教室での講座などが公式サイトで告知されました。
加えて、5月に公表された出演予定には、岡山での凱旋ソロライブ、シャンソンフェスティバル、東京や名古屋など各地のパリ祭出演、長野県でのディナーショーなどが並んでいます。10月17日には和歌山でのシャンソンイベントも予定されていました。活動の範囲は東京だけにとどまりません。
これらは本人の公式サイト「Love&Fight」に掲載された情報であり、2026年も継続的に公演や文化活動を行っていることが確認できます。
71歳の誕生日にもランニングを続ける生活2026年10月29日、志穂美さんは71歳の誕生日を迎えました。
同日、日刊スポーツが報じたInstagramの投稿では、愛犬のリルと一緒にランニングする姿を公開。誕生日を迎える恒例のカウントダウンランニングを行い、「これから本気出す!」という趣旨のコメントも残していました。
また、同年6月の日刊スポーツのインタビューでは、現在もおよそ10日に1度ボクシングジムに通っていることを明かしています。自身をアスリートと捉え、80歳、100歳になっても身体を動かしたいという目標を語りました。
アクション女優として培った身体能力は、過去の経歴にとどまっていません。現在の生活にも、長年のトレーニング習慣として受け継がれています。
2026年10月29日の誕生日投稿については日刊スポーツが報道し、同年6月の取材では身体づくりへの考え方も紹介しています。
【鬼無里まりとは?】2024年から始まったシャンソン歌手としての第二の人生
志穂美悦子さんの現在を語るうえで欠かせないのが、「鬼無里まり」という名前です。
これは別人ではありません。志穂美悦子さん本人が2024年からシャンソン歌手として活動する際に使用している芸名です。
鬼無里まりの名前に込められた意味2026年7月の日刊スポーツの取材で、志穂美さんは芸名の由来について説明しています。
「鬼無里」は長野市内にある、本人にとって思い出のある地名。そして「まり」は、1973年に出演した特撮テレビドラマ『キカイダー01』で演じた役名に由来します。
同作では、女性型アンドロイドのビジンダーに変身する前の人間の姿を「マリ」として演じました。つまり、鬼無里まりという名前には、本人の思い出と女優としての原点が込められています。
2024年6月9日にシャンソン歌手デビュー鬼無里まりとしてのデビューは、2024年6月9日です。
東京都内で開催された「エターナルソング・コンテスト」の受賞曲発表コンサートに出演し、受賞曲「自惚れさせてよ」とシャンソンのレパートリー「愛してくれるなら」の2曲を披露しました。
実は志穂美さんは、20代前半から銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に通うほど、この音楽に親しんでいました。2026年の取材では、22~23歳の頃に銀巴里で大人の女性が歌うシャンソンを聴いていたことを振り返っています。
結婚や子育てを経て、長い時間をかけて蓄積された音楽への思いが、60代最後の年に新しい活動として形になったのです。
シャンソンコンクールで2年連続優秀賞歌手デビュー後の実績も注目されています。
- 2024年11月:日本シャンソンコンクール2024で優秀賞を受賞。「赤いポスター」を歌唱。
- 2025年11月:日本シャンソンコンクール2025でも優秀賞を受賞。エディット・ピアフの「美しい恋物語」を披露。
2025年の受賞については、本人の公式サイトでも発表されています。前年に続く2年連続の優秀賞であり、新人として活動を始めた後も着実に評価を重ねています。
2026年は全国の音楽イベントやソロライブに出演2026年7月には、鬼無里まり名義で岡山、尾道、名古屋、東京、金沢などのパリ祭に出演しました。
また、3月にはソロライブ「青い月」「赤い月」を開催。昼と夜で異なる物語を表現する構成となっており、単に往年の女優として注目を集めるのではなく、歌手として独自の表現を追求している様子がうかがえます。
2026年7月10日のデイリースポーツのインタビューでは、シャンソンについても自身の考えを語りました。
「歌に命をかける」
彼女が惹かれるのは、単なる恋愛や別れの歌ではありません。フランスの歴史や革命、抑圧された人々の叫び、生きることや死ぬことを表現するエネルギーの強い歌です。
アクション女優時代に身体全体で感情を表現してきた志穂美さんにとって、シャンソンもまた、人生経験を声と身体で表現する新たな舞台なのです。
【フラワーアーティストとしての現在】花の活動はいつから始まった?
志穂美悦子さんが花創作家として活動を始めたのは2010年です。
芸能界を離れた後、花の世界に魅了され、フラワーアレンジメントを本格的に学び始めました。師事したのは、世界的なフラワーデザイナー、ダニエル・オスト氏の内弟子だった前田玲子さん、清水はるみさんです。
本人の公式プロフィールによると、2010年5月から東京都田園調布の「花工房 胡桃」で学び、フラワーカラー検定や花ソムリエの資格も取得しています。
東日本大震災を機に広がった花の支援活動花創作家としての活動を語るうえで、2011年の東日本大震災は大きな転機でした。
志穂美さんは自身のフラワーアートをまとめた写真集『INSPIRE』を出版し、その売り上げを被災地支援に寄付しました。
その後も花を通じた支援活動を継続。東日本の被災地だけでなく、ケニアやチベット難民キャンプへの支援にも取り組んできました。
2016年にはJA長生と協力して「ひまわりプロジェクト」を立ち上げ、全国のボランティアとともにひまわりを育て、宮城県、福島県、熊本県などに届ける活動を展開しました。
花は単なる装飾や趣味ではなく、人と人をつなぎ、被災地を応援するための表現手段でもあったのです。
薬師寺や世界らん展での活動実績これまでの代表的な活動には、次のようなものがあります。
- 2011年:フラワーアート写真集『INSPIRE』Vol.1を出版。
- 2012年:NHK BSプレミアム「美の壺」に出演。
- 2013年:奈良県の天武天皇御陵に献花。
- 2014年:奈良・薬師寺で「聖観世音菩薩に捧げる花展」を開催。
- 2015~2023年:世界らん展で特別展示やステージパフォーマンスを披露。
- 2016年:ひまわりプロジェクトを開始。
- 2026年2月:「世界らん展2026-花と緑の祭典」に作品を展示。
特に2014年の薬師寺での活動では、国宝の東院堂を花と流木で彩る大規模な奉納展示を行っています。
2026年にも世界らん展への展示が公式サイトで告知されており、花の分野での活動は現在も続いています。
フラワーアーティストとしての歩みは、本人の公式プロフィールおよび一般社団法人JFTD(花キューピット)の紹介資料でも確認できます。
【若い頃の志穂美悦子】JAC時代から『上海バンスキング』までの女優経歴
現在の志穂美悦子さんを知るには、1970~80年代の女優時代を振り返る必要があります。
彼女は日本映画界における本格的なアクション女優の先駆者です。男性俳優やスタントマンが中心だった当時のアクション映画で、自ら身体を張った演技を行い、独自の地位を築きました。
千葉真一との師弟関係とジャパンアクションクラブ志穂美さんがアクション女優を目指したきっかけは、千葉真一さんへの憧れでした。
1968年から放送されたテレビドラマ『キイハンター』を見て千葉さんのファンになり、高校時代にスタントマンを志すようになります。
1972年、千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)を受験して合格。岡山から上京し、アクションの訓練を受けることになりました。
2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、JACへの入会を希望して自ら応募のはがきを書いたことや、千葉さんの自宅を訪れた際に「雑草のように頑張りなさい」と励まされた思い出を語っています。
千葉さんは単なる憧れのスターではなく、彼女の進路を決定づけた師匠でした。志穂美さんはJACが初めて輩出した女優として、後の女性アクション俳優にもつながる道を切り開きました。
『女必殺拳』シリーズでアクションスターに1973年には映画『ボディガード牙 必殺三角飛び』でスタントデビュー。その後、映画『女必殺拳』シリーズで主演を務め、本格的なアクション女優として人気を確立しました。
テレビでは『キカイダー01』のマリ役を演じ、映画では『華麗なる追跡』『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』などにも出演しています。
彼女の特徴は、単に格闘シーンを演じるだけではなく、自らスタントや擬斗をこなせる身体能力を持っていたことです。危険を伴う撮影でも身体を使った演技に挑戦し、アクション女優というジャンルの可能性を広げました。
『上海バンスキング』で演技派としても評価志穂美さんのキャリアはアクションだけにとどまりません。
1984年公開の映画『上海バンスキング』では、中国人歌手の林珠麗(リリー)を演じました。ジャズと上海を題材に、戦争という激動の時代を生きる人物を表現した作品です。
同作では1985年の第8回日本アカデミー賞で優秀助演女優賞を受賞。さらに第6回ヨコハマ映画祭でも助演女優賞を受賞しています。
1985年の映画『二代目はクリスチャン』ではシスター今日子を演じ、アクション以外の演技でも存在感を発揮しました。
志穂美悦子の経歴と関係人物・作品一覧これまでの活動を、関連する人物や作品との関係から整理すると次のようになります。
| 人物・作品・団体 | 志穂美悦子との関係 | 主な経緯・実績 |
|---|---|---|
| 千葉真一 | 師匠・恩師 | JACを創設。志穂美のアクション女優としての出発点を支えた。 |
| ジャパンアクションクラブ(JAC) | 所属団体 | 1972年に入会。JAC初の女優として活躍。 |
| キカイダー01 | 出演作品 | 1973年にマリ役を演じる。後の鬼無里まりという芸名にもつながる。 |
| 女必殺拳シリーズ | 代表作 | 1974~1976年にかけて主演し、アクションスターとして人気を獲得。 |
| 上海バンスキング | 出演作品 | 1984年公開。林珠麗(リリー)役で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。 |
| 長渕剛 | 夫 | 1986年の『親子ゲーム』で共演。1987年に結婚。 |
| 文音 | 長女 | 女優。映画・ドラマ・舞台などで活動。 |
| WATARU(航) | 長男 | ラッパー・ミュージシャンとして活動。 |
| ReN(漣) | 次男 | シンガーソングライターとして活動。 |
| 鬼無里まり | 本人の歌手名義 | 2024年からシャンソン歌手として活動。 |
このように、志穂美さんの経歴は、JACでのアクション修業、映画女優としての成功、結婚と家庭生活、花創作、そしてシャンソンという複数の転換点でつながっています。
松竹の『男はつらいよ』公式サイトでも、JAC初の女優としての経歴や、長渕剛さんとの共演、1987年の結婚による芸能界引退が紹介されています。
【長渕剛との結婚・芸能界引退理由】出会いから現在まで
志穂美悦子さんと長渕剛さんの出会いは、1986年放送のTBSドラマ『親子ゲーム』でした。
当時、志穂美さんはアクション女優として人気絶頂期。長渕さんはシンガーソングライターとして活動する一方、俳優としても存在感を高めていた時期です。
『親子ゲーム』での共演が結婚のきっかけ『親子ゲーム』で2人は恋人役として共演しました。
撮影中、志穂美さんが左手小指の付け根を骨折するアクシデントが発生。長渕さんが病院に付き添ったことなどをきっかけに、2人の距離が縮まっていきました。
その後、1986年公開の映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演。作品の公開前後には交際が公になり、結婚を意識する関係へと発展しました。
1987年8月29日に結婚、9月17日に挙式2人が入籍したのは1987年8月29日です。
結婚式は同年9月17日、奈良県天川村の天河大弁財天社で行われました。志穂美さんの希望もあり、芸能人としてではなく、普通の人としてひっそり式を挙げる形を選択。双方の両親や親しい知人が参列したと報じられています。
日刊ゲンダイの過去の報道でも、入籍日や挙式の日程、志穂美さんが希望した結婚式のあり方が紹介されています。
芸能界引退の理由は長渕剛の意向と出産・子育て志穂美さんが芸能界から退いたのは、長渕さんとの結婚がきっかけでした。
ただし、本人が2023年12月にフジテレビ系『ぽかぽか』で明かした内容は、一般にイメージされる「結婚したかったから自ら女優を辞めた」という単純なものではありません。
当時の気持ちについて、志穂美さんは、できれば女優の仕事も続けたいと思っていたことを明かしています。しかし、結婚に際して長渕さんから言われた言葉がありました。
「家の中に2つの星はいらない」
志穂美さんは当時、自身のキャリアについても長渕さんに問いかけたそうです。その後、妊娠し、子どもを抱いたことで、家庭と子育てに専念する気持ちが強くなったと説明しています。
したがって、引退の背景には夫の意向だけでなく、妊娠・出産というライフステージの変化もありました。人気絶頂の女優としてのキャリアを一度区切り、家庭を優先する選択をしたのです。
志穂美悦子と長渕剛の子どもは3人2人の間には、長女1人、長男1人、次男1人の計3人の子どもがいます。
- 長女・文音(あやね):1988年3月17日生まれ。女優として映画、ドラマ、舞台などで活動。2026年4月には芸能事務所TWIN PLANETへの所属を発表しました。
- 長男・WATARU(航):ラッパー・ミュージシャンとして活動。2026年には父・長渕剛さんのライブについてSNSで発信する姿も報じられています。
- 次男・ReN(漣):シンガーソングライターとして活動。音楽の道を歩んでいます。
3人ともそれぞれ独自の活動を続けています。長女の文音さんについては2026年の日刊スポーツが所属事務所の変更を報じ、長男のWATARUさんについても同年10月に音楽活動や父親との交流が報道されました。
志穂美さんは2023年のテレビ出演で、子育てについても振り返っています。自身は子どもに対して比較的自由な姿勢だった一方、父親の長渕さんは厳しかったと話していました。
現在は子どもたちも成人し、それぞれの道を歩んでいます。
【2026年の夫婦関係】長渕剛との別居報道は本当?現在の状況を整理
志穂美悦子さんの現在を調べる人が気にするテーマの1つが、長渕剛さんとの夫婦関係です。
1987年に結婚した2人は長年夫婦として知られてきましたが、2025年には週刊誌による別居報道が出ました。現在の生活状況については、報道された事実と本人が語った内容を分けて見る必要があります。
2025年に別居報道と事務所役員辞任が明らかに2025年8月、週刊文春は志穂美さんが2024年4月に長渕さんの個人事務所「オフィスレン」など関連3社の取締役を退任していたと報じました。
同記事では、長渕さんが2023年末に自宅を離れ、別のマンションで生活しているという関係者の証言も紹介されています。
注目されたのは、志穂美さん本人が週刊文春の電話取材に応じたことです。
別居状態なのかと質問された際には「行ったり来たり」と説明。取締役を退いたことについては事実と認めたうえで、新しい活動に集中したいという趣旨の話をしています。
この報道から確認できるのは、事務所の役員を退任したことと、本人が生活について「行ったり来たり」と説明したことです。報道された関係者の証言だけをもって、夫婦関係のすべてを判断することはできません。
2026年7月には長渕剛への感謝を語る一方、2026年7月10日のデイリースポーツのインタビューでは、鬼無里まりとしての音楽活動について、長渕さんへの感謝を語っています。
「歌う時間を作ってくれて、ありがたく思っています」
長渕さんが「やれるとこまでやれ」という姿勢で見守ってくれていることにも触れました。
ただし、歌手としての夫婦共演については「ないでしょう」と回答。長渕さんの力を借りず、自分自身の表現で活動していきたいという考えも示しています。
この発言から読み取れるのは、少なくとも公の場では、長渕さんへの感謝を表明しながら、自身の活動を独立して進めようとしている姿勢です。
別居と離婚は同じではない現在の夫婦関係を整理すると、次のようになります。
- 結婚:1987年に結婚した事実がある。
- 事務所役員:2024年4月に関連会社の取締役を退任したと2025年に報道された。
- 別居:2025年に週刊誌が報道し、本人は「行ったり来たり」と説明した。
- 2026年の発言:夫が歌う時間を作ってくれていることへの感謝を語った。
- 離婚:2026年11月2日までに、離婚成立を示す本人の公表は確認されていない。
重要なのは、別居報道があったことと、離婚が成立したことは別の事実だという点です。
また、夫婦が現在どこを生活拠点としているのか、日常的にどの程度一緒に過ごしているのかといった詳細は、公表されていません。
2026年の本人の発言からは、夫婦の関係を単純な対立や破綻という言葉だけで説明することは難しい状況です。志穂美さん自身は、現在の歌手活動に力を注いでいます。
【プロの結論】志穂美悦子の現在から見える3つの転機と本当の魅力
志穂美悦子さんの人生を振り返ると、単に「長渕剛の妻になった元女優」という肩書きでは説明できない、3つの大きな転換点が見えてきます。
1. 女優として自ら道を切り開いた開拓者精神最初の転機は、1972年のJAC入会です。
当時、本格的なアクションは男性俳優やスタントマンが中心でした。その中で志穂美さんは、自らアクションを演じる女優として活躍しました。
重要なのは、彼女が与えられた役をこなすだけではなく、自分の身体能力を武器に新しい表現領域を開拓したことです。後年の花創作やシャンソンにも通じる、挑戦する姿勢の原点がここにあります。
2. 家庭に入った後も表現活動を止めなかった2つ目の転機は1987年の結婚です。
人気女優としての活動を終え、家庭に入った志穂美さんですが、人生そのものから表現がなくなったわけではありません。
2010年には花創作を本格的に開始し、2011年には東日本大震災の復興支援につながる写真集を出版しました。
さらに2024年にはシャンソン歌手として再出発しています。長年の経験を生かしながら、新しい活動領域を獲得してきたことが特徴です。
3. 71歳になっても自分自身の名前で挑戦を続ける3つ目は、現在の鬼無里まりとしての活動です。
2024年のデビューからコンクール受賞、2026年の全国公演やソロライブまで、歌手としての実績を積み重ねています。
また、長渕剛さんの妻という立場に依存せず、自分の力で評価を得たいという考えもインタビューで語っています。
長渕さんの音楽活動を長年そばで見てきた経験は、歌手としての刺激になった一方、現在は自分自身の表現を追求する段階に入っています。
志穂美悦子の情報を調べるときに押さえたい判断基準ネット上では、志穂美さんについて「芸能界に完全復帰した」「長渕剛と離婚した」「花の仕事を辞めた」といった断片的な情報が見られることがあります。
情報を整理する際には、次の違いを押さえておくと誤解を避けられます。
- 芸能界引退:1987年に女優としての芸能活動を休止したことを指す。現在の花や音楽活動まで辞めたという意味ではない。
- 鬼無里まり:志穂美悦子本人の歌手名義であり、別の女性ではない。
- 別居報道:2025年に報じられたが、離婚成立を意味するものではない。
- 現在の職業:花創作家とシャンソン歌手の両方で活動している。
プロの視点から見ると、志穂美さんの現在を理解する最大の要点は、女優時代と現在を別々の人生として切り離さないことです。
JACで培った身体能力、映画で磨いた表現力、花創作で積み上げた感性、そしてシャンソンで伝えようとする人生経験。これらはすべて、同じ人物の中でつながっています。
【志穂美悦子の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志穂美悦子は2026年現在何歳ですか?
A1:1955年10月29日生まれで、2026年10月29日に71歳になりました。
Q2:志穂美悦子は現在何をしていますか?
A2:花創作家・フラワーアーティストとして作品展示やワークショップを行うほか、鬼無里まり名義でシャンソン歌手としてコンサートや音楽イベントに出演しています。
Q3:鬼無里まりと志穂美悦子は同一人物ですか?
A3:同一人物です。鬼無里まりは2024年からシャンソン歌手として活動する際に使用している芸名です。
Q4:志穂美悦子が芸能界を引退した理由は何ですか?
A4:1987年に長渕剛さんと結婚したことがきっかけです。本人は2023年のテレビ出演で、当初は仕事を続けたい気持ちもあったものの、夫の意向や妊娠・出産を経て家庭に入ったと説明しています。
Q5:志穂美悦子と長渕剛の子どもは何人ですか?
A5:3人です。長女は女優の文音さん、長男はラッパーのWATARUさん、次男はシンガーソングライターのReNさんです。
Q6:志穂美悦子と長渕剛は離婚したのですか?
A6:2025年に別居報道がありましたが、本人による離婚成立の公表は2026年11月2日時点で確認されていません。2026年7月には長渕さんへの感謝も語っています。
Q7:志穂美悦子の若い頃の代表作は何ですか?
A7:『女必殺拳』シリーズ、『キカイダー01』『上海バンスキング』『二代目はクリスチャン』『里見八犬伝』『男はつらいよ 幸福の青い鳥』などです。JAC初の女優としてアクション作品を中心に活躍しました。
Q8:志穂美悦子は千葉真一とどのような関係でしたか?
A8:千葉真一さんが創設したジャパンアクションクラブ(JAC)の門下生であり、アクション女優としての師匠と弟子の関係でした。1972年にJACに入会しています。
2026年11月現在、志穂美悦子さんは71歳。かつて日本初の本格アクション女優として活躍した彼女は、現在、花創作家とシャンソン歌手という2つの分野で活動しています。
1987年の長渕剛さんとの結婚を機に女優業を引退し、3人の子どもを育てながら花の世界へ進みました。そして2024年には鬼無里まりとしてシャンソン歌手デビュー。2025年には日本シャンソンコンクールで2年連続の優秀賞を受賞し、2026年も全国各地の公演や文化活動を続けています。
長渕さんとの別居報道については、本人の説明や2026年のインタビューも踏まえて見る必要があります。報道だけで離婚や夫婦関係の結論を決めつけることはできません。
志穂美悦子さんの魅力は、過去の栄光にとどまらず、年齢や環境の変化に合わせて新しい表現に挑み続けていることです。アクション女優、花創作家、そして鬼無里まり。71歳の現在も、その人生は新しい舞台へと続いています。