片岡我當の芸歴を理解するには、松嶋屋の家系、父から受け継いだ演目、後進育成に関わった組織という三つの関係を見る必要があります。
十三代目片岡仁左衛門から受け継いだ芸十三代目片岡仁左衛門は、我當の父であり、上方歌舞伎の継承に力を注いだ名優です。
我當は父の長男として生まれ、父が得意としていた役柄を引き継ぎました。『新口村』の孫右衛門や『沼津』の平作は、その代表例です。
こうした継承は、名前だけではなく、せりふの運び方、人物の解釈、舞台上での存在感まで含めた芸の継承でした。
十五代目片岡仁左衛門との兄弟関係十五代目片岡仁左衛門は、我當の弟です。
同じ十三代目仁左衛門を父に持ちながら、兄弟はそれぞれ異なる個性と芸風を築きました。
十五代目仁左衛門は上方和事をはじめ幅広い役柄で評価され、現代歌舞伎を代表する俳優として活躍しています。一方、我當は父から受け継いだ義太夫狂言の役柄を大切にし、上方歌舞伎の伝承にも尽力しました。
兄弟でありながら、それぞれの立場から松嶋屋の芸を支えていたことが分かります。
関係する人物・作品・組織の整理| 関連する対象 | 我當との関係 | 主な意味 |
|---|---|---|
| 十三代目片岡仁左衛門 | 実父 | 芸と当たり役の継承 |
| 十五代目片岡仁左衛門 | 実弟 | 松嶋屋を代表する歌舞伎俳優 |
| 二代目片岡秀太郎 | 実弟 | 松嶋屋の兄弟俳優 |
| 『新口村』 | 孫右衛門役 | 父から受け継いだ代表的な役 |
| 『沼津』 | 平作役 | 人情味ある演技の当たり役 |
| 『八陣守護城』 | 佐藤正清役 | 最後の舞台となった演目 |
| 上方歌舞伎会 | 若手俳優の指導に尽力 | 上方歌舞伎の次世代育成 |
| 伝統歌舞伎保存会 | 会員として活動 | 伝統芸能の保存と継承 |
【上方歌舞伎への貢献】若手指導と重要無形文化財の総合認定
片岡我當の功績は、自身が舞台で優れた演技を披露したことだけではありません。
上方歌舞伎の伝統を次の世代へ伝え、若手俳優が古典の演目や大役に取り組める環境を支えたことも、重要な業績です。
上方歌舞伎会で若手俳優を指導我當が力を注いだ活動の一つが、上方歌舞伎会における後進の指導です。
上方歌舞伎会は、1990年に始まった若手俳優による研鑽の場です。国立文楽劇場を中心に、上方歌舞伎の継承を目指す俳優たちが舞台経験を積む機会を提供してきました。
歌舞伎美人の追悼記事では、我當が同会などで上方の若手俳優の指導に尽力したことが紹介されています。
若手俳優にとって、古典の演目を実際に演じることは、映像や書物だけでは学べない技術を身につける機会になります。
例えば、次のような要素は舞台での実践と指導を通して受け継がれます。
- 古典演目における人物の性格や心理の解釈
- 義太夫狂言のせりふ回し
- 舞台上での立ち居振る舞い
- 役柄に応じた表現方法
- 上方歌舞伎特有の芸風や様式
我當は、自分が受け継いだ芸を後進へ伝える立場にもあったのです。
学生向け歌舞伎鑑賞教室にも尽力もう一つ見逃せないのが、学生を対象とした歌舞伎鑑賞教室です。
歌舞伎は、独特のせりふ回しや演技様式、歴史的背景を持つ伝統芸能です。初めて観劇する人にとっては、作品の筋や人物関係が分かりにくい場合もあります。
そのため、若い世代に実際の舞台を見てもらい、歌舞伎に親しむ機会を設けることには大きな意味があります。
我當は長年にわたり、関西の学生を対象とした歌舞伎鑑賞教室にも携わりました。
これは、歌舞伎俳優としての活動を観客の育成にまで広げた取り組みです。演じる側の技術を伝えるだけでなく、将来の観客を育てることにも貢献していました。
1972年の重要無形文化財保持者(総合認定)とは?片岡我當の経歴で重要なのが、1972年5月の重要無形文化財保持者(総合認定)です。
ただし、この認定については正確に理解しておく必要があります。
文化庁によると、重要無形文化財の保持者認定には、主に次の三つの方式があります。
| 認定方式 | 内容 |
|---|---|
| 各個認定 | 個人の高度な技術・芸を認定。いわゆる人間国宝 |
| 総合認定 | 複数の人が一体となって芸能を体現する場合、その構成員を認定 |
| 保持団体認定 | 技術を保持する団体を認定 |
我當が受けたのは、このうちの総合認定です。
したがって、1972年に重要無形文化財保持者として総合認定されたことと、個人認定の人間国宝であることは同じではありません。
この違いは、歌舞伎のような集団で受け継がれる伝統芸能を理解するうえでも重要です。個人の卓越した技術だけでなく、複数の俳優が一体となって芸を伝える仕組みも、国の文化財保護制度によって評価されているのです。
受賞歴から見る歌舞伎界での評価我當は長年の活動を通じて、複数の賞や栄誉を受けています。
特に注目したいのは、1972年の総合認定だけでなく、その後も舞台活動や文化面での功績が評価されていることです。
- 1971年:大阪府民劇場奨励賞
- 1984年:歌舞伎座優秀賞
- 1997年:京都府文化功労賞、十三夜会賞
- 1998年:第17回真山青果賞大賞
- 2005年:旭日双光章
1979年にはアメリカ公演、1988年にはカナダ・アメリカ・メキシコ公演、1997年には台湾公演にも参加しました。
1988年の海外公演では、アメリカのワシントン州名誉州民、カナダのカルガリー名誉市民にもなっています。
こうした記録からも、我當の活動が国内の舞台にとどまらず、海外への歌舞伎紹介にも及んでいたことが分かります。
【2025年5月11日に死去】死因・最後の舞台・2026年現在の記録
片岡我當の死去は2025年5月11日五代目片岡我當は、2025年5月11日午後4時37分、東京都内の病院で亡くなりました。享年90歳でした。
死因は肺炎です。
この訃報が公表されたのは、亡くなった日から約2か月後の2025年7月17日でした。松竹の発表を受け、歌舞伎関係の公式情報サイトや報道各社が訃報を伝えました。
葬儀・告別式は、親族による密葬としてすでに執り行われていたと報じられています。
亡くなった日と訃報の公表日が異なるため、情報を調べる際には、この二つの日付を混同しないことが大切です。
最後の舞台は2020年2月の『八陣守護城』片岡我當の最後の舞台は、2020年2月の歌舞伎座公演『八陣守護城』でした。
この公演は、父である十三世片岡仁左衛門の二十七回忌追善狂言として上演されたものです。
我當が演じたのは佐藤正清。
父の追善公演が、自身の最後の舞台となったことは、松嶋屋の芸の継承という観点からも印象深い出来事です。
十五代目片岡仁左衛門も、兄の訃報を受けてコメントを発表しています。日刊スポーツが報じたコメントでは、兄の最後の舞台が父の二十七回忌追善狂言だったことに触れ、兄と次兄の秀太郎、自身の3人で出演した「若松会」を思い出として挙げました。
兄弟で舞台を共にした記憶が、弟にとっても大切なものだったことがうかがえます。
2026年現在、片岡我當の芸歴はどこで確認できる?2026年11月現在、片岡我當はすでに亡くなっているため、本人の新たな舞台出演や現役活動はありません。
一方、その芸歴や功績は複数の公的・専門的な資料に記録されています。
特に参考になるのは次の三つです。
1.日本俳優協会
本名、生年月日、初舞台、襲名、受賞歴、役職などを確認できます。
2.歌舞伎俳優名鑑「想い出の名優篇」
当たり役、芸風、舞台写真、出演歴などを調べる際に役立ちます。
3.文化デジタルライブラリー
片岡秀公から五代目片岡我當への芸名の変遷や、公演記録を確認できます。
特に文化デジタルライブラリーでは、1940年10月から1971年1月までの片岡秀公名義の記録と、1971年2月から2025年5月11日までの五代目片岡我當名義の履歴が区別されています。
2026年現在、我當の生涯を調べるうえでは、こうした記録を組み合わせることで、幼少期の初舞台から最後の舞台までの歩みをたどれます。
【片岡我當に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:片岡我當はいつ亡くなりましたか?
2025年5月11日午後4時37分です。東京都内の病院で90歳で亡くなりました。訃報は同年7月17日に公表されました。
Q2:片岡我當の死因は何ですか?
死因は肺炎です。松竹の発表を受けた2025年7月の報道で明らかになりました。
Q3:片岡我當の本名は何ですか?
本名は片岡秀公(かたおか・ひできみ)です。1940年の初舞台では、この本名で舞台に立ちました。
Q4:片岡我當と十五代目片岡仁左衛門はどのような関係ですか?
実の兄弟です。我當が長男で、十五代目片岡仁左衛門は三男にあたります。二代目片岡秀太郎も弟です。
Q5:片岡我當の最後の舞台は何ですか?
2020年2月の歌舞伎座『八陣守護城』です。十三世片岡仁左衛門の二十七回忌追善狂言で、佐藤正清を演じました。
Q6:片岡我當は人間国宝だったのですか?
1972年に重要無形文化財保持者(総合認定)に認定されています。ただし、文化庁の制度上、総合認定と個人認定(いわゆる人間国宝)は異なる認定方式です。
五代目片岡我當は、1935年に東京で生まれ、1940年に片岡秀公として初舞台を踏み、1971年に五代目片岡我當を襲名した歌舞伎俳優です。
十三代目片岡仁左衛門の長男として松嶋屋の芸を受け継ぎ、『新口村』の孫右衛門、『沼津』の平作、『近頃河原の達引』の猿廻し与次郎など、情感豊かな役柄で評価されました。
加えて、上方歌舞伎会での若手俳優の指導や、学生向けの歌舞伎鑑賞教室にも尽力。1972年の重要無形文化財保持者(総合認定)、2005年の旭日双光章など、その功績は公的な記録にも残されています。
2025年5月11日に90歳で亡くなり、2020年2月の『八陣守護城』が最後の舞台となりました。
【プロの結論】片岡我當の本当の功績は「芸を受け継ぎ、次代へ渡したこと」片岡我當の生涯を評価する際、注目すべきなのは三つの側面です。
第一は、父から受け継いだ上方歌舞伎の芸を、自分自身の表現として磨き上げたこと。
第二は、義太夫狂言から江戸歌舞伎、新歌舞伎まで幅広く取り組み、立役としての芸域を広げたこと。
第三は、自身の舞台活動にとどまらず、若手俳優の指導や観客の育成にも力を注いだことです。
歌舞伎は、名跡を受け継ぐだけで完成する芸能ではありません。先人の技術や解釈を学び、自分の舞台で表現し、次の世代へ伝えることによって歴史が続いていきます。
片岡我當は、その三つの役割を長年にわたって担った俳優でした。
五代目片岡我當の功績は、代表的な当たり役だけでなく、上方歌舞伎の伝統を未来へつなぐために尽力した、その生涯全体にあります。
主な参考資料:公益社団法人日本俳優協会、松竹「歌舞伎美人」、歌舞伎俳優名鑑「想い出の名優篇」、独立行政法人日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」、文化庁、日刊スポーツ、ステージナタリー。