俳優・歌手として長年にわたり活躍する寺尾聰さんは、2026年11月現在、79歳です。1947年5月18日生まれで、神奈川県出身。1981年に「ルビーの指環」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞した歌手として知られる一方、映画やテレビドラマでも数多くの印象的な役を演じてきました。
若い頃のザ・サベージでの音楽活動、父である名優・宇野重吉さんとの関係、映画「黒部の太陽」やドラマ「西部警察」への出演、そして紫綬褒章・旭日小綬章の受章まで、その歩みは多彩です。2026年もテレビドラマやライブ活動を続けており、79歳を迎えた現在も第一線で存在感を示しています。
【2026年最新】寺尾聰の年齢は79歳!生年月日とプロフィール
寺尾聰さんの年齢は、2026年11月4日現在で79歳です。誕生日は1947年5月18日。2026年の誕生日を迎えた時点で79歳になりました。
芸能活動の初期にはミュージシャンとして注目を集め、その後、俳優としても確かな評価を獲得しています。歌手と俳優という異なる分野で長期間活躍していることが、寺尾聰さんの大きな特徴です。
寺尾聰の基本プロフィール| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 寺尾 聰(てらお あきら) |
| 生年月日 | 1947年5月18日 |
| 年齢 | 79歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 職業 | 俳優・歌手・ミュージシャン |
| 父 | 俳優・宇野重吉 |
| 音楽活動の初期 | ザ・サベージ |
| 代表曲 | ルビーの指環、出航-SASURAI-、SHADOW CITY |
| 代表的な出演作 | 黒部の太陽、西部警察、雨あがる、博士の愛した数式 |
| 主な受章歴 | 2008年 紫綬褒章、2018年 旭日小綬章 |
生年月日や受賞歴、出演作品については、寺尾聰さんの公式サイト「A.T-Style」に掲載されているプロフィールでも確認できます。
父親は名優・宇野重吉寺尾聰さんの父親は、俳優として活躍した宇野重吉さんです。宇野重吉さんは日本演劇界で広く知られる人物で、劇団民藝の創立にも関わりました。
寺尾聰さんは公式プロフィールでも、父が宇野重吉さんであることを公表しています。
名優を父に持つ環境は、寺尾さんの芸能活動を語るうえで欠かせない背景です。ただし、寺尾さん自身のキャリアは、父親の知名度だけで説明できるものではありません。音楽活動から始まり、映画やテレビで独自の表現を築いてきた経歴が、その実力を物語っています。
【若い頃の経歴】ザ・サベージから俳優への転身
寺尾聰さんの若い頃を振り返ると、現在の落ち着いた俳優としてのイメージとは異なる、ミュージシャンとしての出発点が見えてきます。
1960年代、寺尾さんはグループ「ザ・サベージ」のメンバーとして音楽活動を始めました。当時はベースを担当し、1966年にはシングル「いつまでもいつまでも」でレコードデビューしています。
1960年代のザ・サベージ時代ザ・サベージは、奥島吉雄さんを中心に結成されたカレッジ・フォーク系のグループです。1966年の「いつまでもいつまでも」はヒットし、当時の音楽シーンで注目を集めました。
寺尾さんはベーシストとして参加していましたが、デビュー後まもなくグループを離れています。その後はソロでの音楽活動へと進み、歌手・作曲家としての個性を育てていきました。
1968年「黒部の太陽」で映画出演音楽活動と並行して、寺尾聰さんは俳優としても歩み始めます。
1968年公開の映画「黒部の太陽」は、熊井啓監督による作品です。石原裕次郎さんらが出演した大作で、黒部ダム建設の難工事を題材にしています。寺尾さんの映画出演歴を語るうえでも重要な初期作品です。
その後、映画だけでなくテレビドラマや舞台にも活動の幅を広げていきました。
寺尾聰の経歴・年表と関係人物音楽と俳優業の両方を経験してきた寺尾さんの歩みを、主な出来事と関係する人物・作品から整理します。
| 年代 | 人物・作品・出来事 | 寺尾聰との関係・意義 |
|---|---|---|
| 1947年 | 宇野重吉 | 5月18日、神奈川県に生まれる。宇野重吉の長男。 |
| 1960年代 | ザ・サベージ | ベース担当として音楽活動を開始。 |
| 1966年 | いつまでもいつまでも | グループのメンバーとしてレコードデビュー。 |
| 1968年 | 黒部の太陽 | 熊井啓監督作品に出演。映画俳優としての歩みを進める。 |
| 1979年 | 西部警察 | テレビ朝日系の人気刑事ドラマに出演。 |
| 1981年 | ルビーの指環 | 歌手として大きな成功を収め、日本レコード大賞を受賞。 |
| 1981年 | Reflections | 代表的な音楽アルバムを発表。 |
| 1985年 | 乱 | 黒澤明監督作品に出演。 |
| 2000年 | 雨あがる | 小泉堯史監督作品で主演。俳優として高い評価を受ける。 |
| 2001年 | 日本アカデミー賞 | 最優秀主演男優賞を受賞。 |
| 2006年 | 博士の愛した数式 | 小泉堯史監督作品に主演。 |
| 2008年 | 紫綬褒章 | 芸術・文化分野での功績により受章。 |
| 2018年 | 旭日小綬章 | 長年の芸術文化への功績により受章。 |
| 2026年 | 俺たちの箱根駅伝 | テレビドラマに出演し、俳優活動を継続。 |
この年表から分かるのは、寺尾さんが歌手として成功した後に俳優へ転向したという単純な経歴ではないことです。若い頃から複数の表現分野に携わり、それぞれの活動を長い時間をかけて積み重ねてきました。
【音楽活動の頂点】ルビーの指環はなぜ伝説的なヒット曲になったのか
寺尾聰さんの名前を聞いて、多くの人が思い浮かべる曲が「ルビーの指環」です。1981年に発表されたこの楽曲は、歌手としての寺尾さんを象徴する代表曲となりました。
1981年の日本レコード大賞を受賞「ルビーの指環」は、1981年12月31日に開催された第23回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。
公益社団法人日本作曲家協会の受賞記録によると、歌唱は寺尾聰さん、作曲も寺尾さん自身が担当しています。作詞は松本隆さん、編曲は井上鑑さんです。
歌手として歌うだけでなく、作曲家としても評価されたことは、この楽曲の大きな特徴です。
アルバム「Reflections」との関係「ルビーの指環」は、1981年のアルバム「Reflections」に収録されています。
同アルバムには「SHADOW CITY」や「出航-SASURAI-」なども収録されており、寺尾さんの音楽的な個性を理解するうえで重要な作品です。
特に「Reflections」は、当時の都会的なサウンドと寺尾さんの落ち着いた歌声が結びついた作品として知られています。
歌手としての成功が俳優業にもたらしたもの寺尾さんのキャリアの特徴は、音楽で大きな成功を収めた後も俳優業を継続したことです。
一般的には、ヒット曲や音楽賞の受賞によって歌手としてのイメージが固定されることもあります。しかし寺尾さんは、その後も映画やドラマで異なる役柄を演じ、俳優として独立した評価を獲得しました。
音楽活動で培った表現力と、映画・テレビでの演技経験。その両方を持つことが、寺尾聰さんならではの芸能活動を形づくっています。
【俳優としての代表作】黒部の太陽・西部警察・雨あがる
寺尾聰さんは、歌手としての知名度だけでなく、俳優としても数々の映画やドラマに出演してきました。
作品ごとに異なる役柄を演じ、重厚な人間ドラマからテレビの人気シリーズまで、幅広いジャンルで存在感を示しています。
映画「黒部の太陽」1968年公開の「黒部の太陽」は、熊井啓監督による映画です。黒部ダム建設に伴う困難なトンネル工事を描いた作品で、石原裕次郎さんをはじめとする出演者による大作として知られています。
寺尾さんにとっては、俳優としての初期を代表する映画の一つです。
テレビドラマ「西部警察」1979年に始まったテレビ朝日系の刑事ドラマ「西部警察」にも出演しています。
石原裕次郎さん、渡哲也さん、舘ひろしさんらが出演した同作は、アクション性の高い刑事ドラマとして人気を集めました。
寺尾さんの出演歴の中でも、幅広い世代の視聴者に知られるテレビ作品の一つです。
映画「雨あがる」と「博士の愛した数式」2000年公開の「雨あがる」は、小泉堯史監督による映画です。寺尾さんは主演を務め、俳優としての評価をさらに高めました。
公式プロフィールには、2000年の日刊スポーツ映画大賞主演男優賞や、2001年の第24回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞などの受賞歴が掲載されています。
また、2006年公開の「博士の愛した数式」も代表作の一つです。小泉監督との仕事は、寺尾さんの映画俳優としてのキャリアを語るうえで欠かせません。
その他の主な出演作品- 「同胞」(1976年)
- 「乱」(1985年)
- 「夢」(1990年)
- 「まあだだよ」(1993年)
- 「阿弥陀堂だより」(2002年)
- 「半落ち」(2004年)
- 「亡国のイージス」(2005年)
これらの作品からも、寺尾さんが長年にわたり日本映画界で活動してきたことが分かります。
【2026年現在】寺尾聰は何をしている?最新ドラマと音楽活動
79歳となった2026年も、寺尾聰さんは俳優・ミュージシャンとして活動しています。引退したわけではなく、テレビドラマへの出演やライブなど、複数の活動が公式情報で確認できます。
日本テレビ「俺たちの箱根駅伝」に出演2026年の注目作の一つが、日本テレビ系のドラマ「俺たちの箱根駅伝」です。
公式サイトによると、2026年10月10日から放送が始まり、寺尾さんは明誠学院大学陸上競技部の監督・諸矢久繁役を演じています。
大泉洋さん、伊藤沙莉さん、山田杏奈さんらが出演する作品で、寺尾さんは物語に登場する大学陸上競技部の指導者という役どころです。
2026年11月現在も放送期間中であり、79歳を迎えた年の新たな俳優活動として注目されます。
2026年もライブ活動を継続音楽活動についても、公式サイト「A.T-Style」では2026年のライブ情報が掲載されています。
2026年には大阪でのライブや定期的なカバーライブなどが案内され、12月13日・14日には東京・六本木のAbbey Road Tokyoでの公演も告知されています。公式案内では、両公演とも完売とされています。
また、2026年8月には新横浜プリンスホテルでのクリスマスディナーショーも告知されました。
こうした活動を見ると、寺尾さんは過去のヒット曲を振り返るだけの存在ではありません。現在も音楽を届ける活動を続けていることが分かります。
紫綬褒章と旭日小綬章を受章寺尾聰さんの長年の活動を評価するうえで、国からの受章歴も重要です。
- 2008年:紫綬褒章
- 2018年:旭日小綬章
紫綬褒章は学術・芸術・スポーツなどの分野で優れた業績を挙げた人に贈られる褒章です。旭日小綬章は、公共的な分野における功績をたたえる叙勲の一つです。
音楽活動での受賞だけでなく、映画やテレビドラマでの長年の仕事も含め、幅広い芸術活動が評価されてきたことを示しています。
【よくある誤解を整理】寺尾聰の年齢・経歴に関する疑問
寺尾聰さんについて調べる際には、歌手としての活動時期と俳優としての活動時期が混同されることがあります。ここでは、検索されやすいポイントを整理します。
年齢と活動歴は別々に確認する寺尾さんは1947年生まれで、2026年11月現在79歳です。1960年代から音楽活動を行っているため、芸能活動の歴史は非常に長くなっています。
ただし、ザ・サベージでの活動開始、映画出演、ソロ歌手としての成功は、それぞれ異なる時期の出来事です。年齢だけでなく、活動ごとの年代を確認すると経歴を正確に理解できます。
歌手だけでなく俳優としても受賞歴がある「ルビーの指環」の日本レコード大賞が特に有名ですが、寺尾さんは俳優としても日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞などを受賞しています。
歌手としての実績と俳優としての実績を分けて見ることが、寺尾聰さんのキャリアを正しく評価するポイントです。
寺尾聰の年齢・プロフィールに関するよくある質問(FAQ)
Q1:寺尾聰は2026年現在何歳ですか?
A1:2026年11月現在79歳です。1947年5月18日生まれで、2026年5月18日に79歳の誕生日を迎えました。
Q2:寺尾聰の父親は誰ですか?
A2:父親は俳優の宇野重吉さんです。宇野重吉さんは劇団民藝の創立にも関わった、日本演劇界を代表する俳優の一人です。
Q3:寺尾聰が歌った「ルビーの指環」は何年の曲ですか?
A3:1981年の楽曲です。寺尾聰さん自身が作曲し、松本隆さんが作詞、井上鑑さんが編曲を担当しました。同年の第23回日本レコード大賞で大賞を受賞しています。
Q4:寺尾聰は若い頃、どのグループに所属していましたか?
A4:ザ・サベージというグループに所属していました。ベースを担当し、1966年に「いつまでもいつまでも」でレコードデビューしています。
Q5:寺尾聰の代表的な俳優作品は何ですか?
A5:「黒部の太陽」「西部警察」「乱」「雨あがる」「博士の愛した数式」などが代表的な作品として挙げられます。
Q6:寺尾聰は現在も芸能活動をしていますか?
A6:はい。2026年には日本テレビ系ドラマ「俺たちの箱根駅伝」に出演しているほか、ライブ活動も継続しています。
Q7:寺尾聰が受章した褒章や勲章は何ですか?
A7:2008年に紫綬褒章、2018年に旭日小綬章を受章しています。
寺尾聰さんは1947年5月18日生まれで、2026年11月現在79歳です。
1960年代のザ・サベージでの音楽活動から始まり、1981年の「ルビーの指環」で日本レコード大賞を受賞。その後は「黒部の太陽」「西部警察」「雨あがる」「博士の愛した数式」などの作品に出演し、俳優としても確かな実績を築いてきました。
加えて、2008年の紫綬褒章、2018年の旭日小綬章という受章歴もあります。これらは音楽と映像作品の双方で積み重ねてきた功績を示すものです。
2026年も「俺たちの箱根駅伝」への出演やライブ活動が確認されており、79歳という年齢だけでは語り尽くせない現役の表現者として活動しています。
寺尾聰さんの魅力を理解するには、「ルビーの指環」の歌手としての姿だけでなく、映画やドラマで積み重ねてきた俳優としての歴史にも目を向けることが大切です。音楽と演技の両方で時代を超えて存在感を示してきたことこそ、寺尾聰さんのキャリアを特徴づけています。