江上さんのキャリアで見逃せないのが、選手から指導者への転身です。
ロサンゼルス五輪後に一度現役を退いた江上さんは、小田急女子バレーボールチームの監督を務めました。
その後、1987年に選手として復帰し、ソウル五輪出場を実現しています。
つまり、江上さんは選手としての実績だけでなく、チームを率いる指導者としての経験も持っています。
小田急での経験が指導者としての基盤に選手と監督では、求められる能力が異なります。
選手は自分の技術を高め、試合の中で結果を出すことが大切です。一方、監督には、個々の選手の能力を把握し、チーム全体の力を引き出す役割があります。
江上さんは、全日本女子の主将としてチームをまとめた経験を持ちながら、指導者としてもチームづくりに携わりました。
こうした経験は、その後のバレーボール教室や競技普及活動にも生かされていると考えられます。
ママさんバレーの指導にも取り組む2021年4月に掲載された丸山由美さんのインタビューでは、日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として活動していることが紹介されています。
指導対象はトップレベルの選手だけではありません。
ママさんバレーなど、幅広い年代の愛好者にもバレーボールの楽しさを伝えてきました。
同インタビューでは、20代から50〜70代まで幅広い年代の人が参加し、90歳でコートに立った人もいたというエピソードが語られています。
丸山さんが大切にしているのは、勝敗だけではなく、バレーボールを通じた人とのつながりです。
技術を教えるだけでなく、長くスポーツを楽しめる環境を広げることも、現在につながる活動の特徴です。
【2026年最新】江上由美の現在は?大学アドバイザーとバレーボール普及活動

2026年11月3日時点で確認できる丸山由美さんの活動は、大学チームへの助言や、元日本代表選手によるバレーボール普及イベントへの参加です。
現在もバレーボールに関わり続けていることは、複数の公的な活動記録から確認できます。
2026年度は江戸川大学女子バレーボール部のアドバイザー注目したいのが、江戸川大学の女子バレーボール部です。
同大学の公式ウェブサイトに掲載された2026年度スタッフ一覧には、丸山由美さんがアドバイザーとして記載されています。
監督は竹内寿郎さんで、丸山さんはチームを支えるアドバイザーという立場です。
江戸川大学女子バレーボール部は関東大学女子バレーボールリーグ2部に所属しています。
現役時代に世界の舞台で戦った経験を持つ丸山さんが、大学生の競技活動を支える立場にいることは、指導者としての現在を知るうえで重要な情報です。
2026年7月:富士宮市のバレーボールイベントに参加2026年7月18日・19日には、静岡県富士宮市で宝くじスポーツフェア「ドリーム・バレーボールin富士宮」が開催されました。
富士宮市の公式開催報告によると、江上由美さんは元日本代表選手によるドリームチームのメンバーとして参加しています。
7月19日のメインイベントでは、約160人の小中学生やママさんバレーチームの参加者を対象に、レシーブやアタックなどの技術指導が行われました。
また、開会式では江上さんが「江上キャプテン」と紹介され、花束などが贈呈されています。
元日本代表の主将としての存在感は、こうした普及イベントでも生かされています。
2026年11月15日:幸手市のドリーム・バレーボールにも参加予定加えて、埼玉県幸手市の公式イベント情報では、2026年11月15日開催予定の「ドリーム・バレーボール in 幸手」の参加選手として江上由美さんの名前が掲載されています。
イベントは幸手市民文化体育館で開催予定で、元日本代表選手によるバレーボール教室やフレンドリーマッチなどが企画されています。
参加者一覧には、広瀬美代子さん、多治見麻子さん、狩野舞子さん、新鍋理沙さん、石井優希さんなどの名前もあります。
江上さんは、こうした元代表選手による交流活動を通じて、幅広い世代に競技の魅力を伝える役割を担っています。
なお、これは11月3日時点での開催予定・参加予定の情報です。
2026年の活動を確認する際の注意点2026年10月25日に予定されていた山口県萩市の「ドリーム・バレーボールin萩」についても、当初の参加選手一覧に江上さんの名前がありました。
しかし、萩市は10月23日、台風30号の接近による荒天予想を理由にイベントの中止を発表しています。
したがって、参加者として掲載されたことと、実際にイベントへ出演したことは区別する必要があります。
2026年の活動を整理すると、丸山由美さんは現役選手としてではなく、大学チームのアドバイザーや元日本代表としての普及活動を通じて、現在もバレーボールに関わっています。
【誤解を整理】江上由美に関するよくある勘違いと事実
江上由美さんについて調べると、旧姓と現在の名前、五輪の成績、監督としての経歴など、混同されやすい情報があります。
ここでは、特に間違えやすいポイントを整理します。
江上由美と丸山由美は別人ではない前述のとおり、江上由美と丸山由美は同一人物です。
1984年のロサンゼルス五輪では江上由美、1988年のソウル五輪では丸山由美として記録されています。
名前が違うからといって、別々の選手の実績として数える必要はありません。
ソウル五輪でも銅メダルを獲得したわけではないもう一つの勘違いが、2大会連続でメダルを獲得したという認識です。
実際の成績は次のとおりです。
- 1984年ロサンゼルス五輪:日本女子3位、銅メダル
- 1988年ソウル五輪:日本女子4位
ソウル大会はメダル獲得には届きませんでしたが、現役復帰後に再び五輪の舞台に立ったこと自体が大きな実績です。
この違いは日本バレーボール協会の公式記録でも確認できます。
現在もプロの現役選手として活動しているわけではない2026年の活動情報から確認できるのは、指導・助言・普及活動です。
江戸川大学ではアドバイザー、地域のイベントでは元日本代表選手として参加しています。
現役時代の所属チームである日立バレーボール部も現在は休部しています。
したがって、現役時代の選手情報と、現在の指導者としての活動を分けて理解することが大切です。
【プロの結論】江上由美の本当の価値はメダルだけではない江上由美さんの競技人生から読み取れるのは、選手としての技術、主将としての統率力、そして指導者としての継続性という3つの価値です。
特に注目したいのは、1984年の五輪後に一度引退しながら、1987年に現役復帰した点です。
選手としてのキャリアを終えた後も、新たな立場から競技に関わり続けてきました。
また、2026年度の大学アドバイザー就任や地域イベントへの参加は、かつてのトップアスリートが競技の普及に果たす役割を示しています。
江上さんの経歴を評価するときは、五輪のメダル数だけではなく、競技人生の転換点と、その後の活動まで見ることが重要です。
【FAQ】江上由美・丸山由美のバレーボールに関するよくある質問
Q1:江上由美さんは現在、何という名前で活動していますか?
丸山由美さんです。江上由美は旧姓で、現在は丸山由美の名前でバレーボール指導や普及活動に携わっています。
Q2:江上由美さんの生年月日と出身地は?
1957年11月30日生まれで、東京都出身です。松蔭高等学校を卒業後、1976年に日立バレーボール部へ入社しました。
Q3:江上由美さんの身長とポジションは?
身長175cm、ポジションはセンターです。ブロックの読みやタイミング、クイック攻撃などを得意とした選手でした。
Q4:江上由美さんはロサンゼルス五輪で何を達成しましたか?
1984年ロサンゼルスオリンピックで女子日本代表の主将を務め、銅メダルを獲得しました。
Q5:江上由美さんはソウル五輪にも出場しましたか?
出場しています。1987年に現役復帰し、1988年のソウルオリンピックに丸山由美の名前で出場しました。日本は4位でした。
Q6:江上由美さんは小田急バレーボール部の監督だったのですか?
はい。ロサンゼルス五輪後に引退した際、小田急女子バレーボールチームの監督を務めました。その後、現役復帰してソウル五輪に出場しています。
Q7:江上由美さんは2026年現在、何をしていますか?
2026年度の江戸川大学女子バレーボール部の公式スタッフ一覧ではアドバイザーとして掲載されています。また、2026年7月の富士宮市のバレーボールイベントにも参加しています。
江上由美(現・丸山由美)さんは、1976年の日立入社から全日本女子の主将、1984年ロサンゼルス五輪の銅メダリスト、1988年ソウル五輪出場へと、日本女子バレーボールの歴史に名を残してきた選手です。
身長175cmのセンタープレーヤーとして、ブロックの読みやタイミング、攻撃技術を磨き、日立の黄金時代を支えました。加えて、一度引退した後に指導者を経験し、再び現役復帰して五輪に出場した経歴も特徴的です。
2026年現在は、江戸川大学女子バレーボール部のアドバイザーや地域のバレーボール普及イベントなどを通じて、競技に関わり続けています。
江上由美と丸山由美は同一人物であり、ロサンゼルス五輪は銅メダル、ソウル五輪は4位というのが正確な競技記録です。名前や大会成績を正しく整理すると、その長い競技人生と指導者としての歩みがより明確になります。
選手として頂点を経験しながら、引退後も競技の発展に力を注ぐ丸山由美さん。日本女子バレーボールの歴史を知るうえで、今後も注目したい人物の一人です。
主な参照資料:公益財団法人日本バレーボール協会、バレーボールSVL/JVL、実業之日本社、Olympedia、スポーツナビ、江戸川大学、富士宮市、幸手市、丸光産業によるインタビュー記事。